日本歴史地名大系 「本二之丁」の解説 本二之丁ほんにのちよう 福島県:会津若松市若松城下本二之丁[現在地名]会津若松市城前(しろまえ)・追手町(おうてまち)・東栄町(ひがしさかえまち)・山鹿町(やまがまち)・西栄町(にしさかえまち)・本町(ほんまち)本一之丁の北側を東西に走る郭内第二街、東は天寧寺町(てんねいじまち)口郭門北より、西は諏訪神社境内に至る。長さ一五町一二間余・幅一一間で、家数は寛政期(一七八九―一八〇一)には南側三四・北側三七(会津鑑)、化政期には六五(新編会津風土記)。明治四一年(一九〇八)当丁の東部を中心に歩兵連隊が設置されたので道は消滅し、連隊正門以西だけが残ったが、連隊解散後は、市立第二中学校・城前市営住宅街となり、一部が復活した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by