本佐倉陣屋跡(読み)もとさくらじんやあと

日本歴史地名大系 「本佐倉陣屋跡」の解説

本佐倉陣屋跡
もとさくらじんやあと

[現在地名]酒々井町上本佐倉

北大堀きたおおほりの台地上に置かれた陣屋跡。北大堀遺跡の一部にあたる。近世初頭、徳川家は本佐倉城を中心とする一帯の支配のため万千代殿まんちよどの屋敷・万君まんぎみ屋敷・武田たけだ館・大堀館などとも称される陣屋を築いた(「佐倉風土記」「成田名所図会」「印旛郡誌」など)。天正一八年(一五九〇)から小金こがね(現松戸市)領主であった徳川家康五男武田(松平)信吉(幼名万千代丸)は、同二〇年三月、当地に四万石(五万石とも)で入部した(「徳川加除封録」、「佐倉御城之記」佐倉史談付録など)。武田氏は文禄三年(一五九四)に領内の検地を施行している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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