デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠烈」の解説 本多忠烈 ほんだ-ただつら 1710-1723 江戸時代中期の大名。宝永7年生まれ。本多忠直の子。兄本多忠村(ただむら)の死により,享保(きょうほう)7年大和(奈良県)郡山(こおりやま)藩主本多家(定通系忠義家)5代となる。6万石の減知となり,本多家の名跡だけを維持していたが,享保8年11月27日14歳で死去し家は断絶した。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例