ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「コジモ3世」の意味・わかりやすい解説
コジモ3世
コジモさんせい
Cosimo III
[没]1723.10.31.
第6代トスカナ大公(1670~1723)。フルネーム Cosimo de' Medici。メディチ家のだれよりも長い 53年間にわたって大公の地位にあったが,在位中に勢力は著しく衰えた。各国を旅行し,教会のために惜しげもなく金を使う一方,妻との不仲,政治への幻滅,家系断絶などにさいなまれて内向的な性情を示し,信仰活動に没頭した。奔放な妻,オルレアン公家のマルグリット・ルイズは 1675年に夫を残してフランスへ帰った。弟にも息子 2人にも子がなかったため家系の断絶に直面し,一時はトスカナに共和制を復活させることすら提唱したが,ヨーロッパ列強諸国に受け入れられなかった。1718年のロンドン条約でイギリス,フランス,オランダ,神聖ローマ帝国の四国同盟は,トスカナ大公はパルマ公,ピアチェンツァ公(→パルマ=ピアチェンツァ公国)とともに,ブルボン家のカルロス(のちのスペイン王カルロス3世)が継承すると取り決めた。だが大公位を継いだ二男ジャン・ガストネが 1737年に死亡すると,トスカナ大公位はロレーヌ公に与えられた。
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