本多忠貫(読み)ほんだ ただつら

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多忠貫」の解説

本多忠貫 ほんだ-ただつら

1834*-1898 幕末-明治時代の大名,華族
天保(てんぽう)4年11月28日生まれ。出羽(でわ)新庄藩(山形県)藩主戸沢正実(まさざね)の弟。本多忠寛(ただひろ)の養子となり,安政4年伊勢(いせ)(三重県)神戸(かんべ)藩主本多家7代。文久3年山田奉行となり,神宮警衛にあたる。のち東照宮宮司(ぐうじ)などをつとめた。子爵。明治31年6月24日死去。66歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む