朝日日本歴史人物事典 「本多成重」の解説
本多成重
生年:元亀3(1572)
江戸前期の大名。浜松で出生。幼名は仙千代。通称は丹下,次郎大夫,飛騨守。致仕後は土菴と号す。本多作左衛門重次と鳥居伊賀守忠吉の娘の次男。妻は土岐山城守定政の娘。天正11(1583)年より徳川家康に仕え,同12年小牧・長久手の戦の講和の際,家康の次男秀康と共に人質として上京した。同13年父重次のはからいで浜松に帰り,12月8日に元服。同18年小田原の陣のとき父に代わり家康旗下で,督姫をむかえ陣営に帰る。慶長7(1602)年下総国井野3000石襲封のほか,近江国蒲生郡に2000石を加増された。同18年松平忠直に付けられ,越前国丸岡城主となり4万石を領す。大坂の陣では天王寺表で奮戦。寛永1(1624)年より徳川家光に仕えて6300石加増。正保2(1645)年5月に致仕した。
(藤實久美子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報