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本多重次 ホンダシゲツグ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

本多重次 ほんだ-しげつぐ

1529-1596 戦国-織豊時代の武将。
享禄(きょうろく)2年生まれ。本多重正の子。松平清康・広忠につかえ,徳川家康の重臣となる。岡崎三奉行のひとりで,はげしい性格から鬼作左とよばれた。長篠(ながしの)の戦いのとき,妻にあてたみじかい手紙は有名。文禄(ぶんろく)5年7月26日死去。68歳。通称は八蔵,作十郎,作左衛門。
【格言など】一筆啓上,火の用心,お仙泣かすな,馬肥やせ(妻あての手紙)

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朝日日本歴史人物事典の解説

本多重次

没年:慶長1.7.26(1596.8.19)
生年:享禄2(1529)
戦国・安土桃山時代の武将。通称八蔵,作十郎といったが,作左衛門の名が有名。剛毅な性格とふるまいから「鬼作左」と恐れられたという。松平氏譜代の本多重正の子で7歳から松平清康,広忠に仕え,家康の重臣として,永禄8(1565)には三河三奉行ひとりとなった。天正3(1575)年の長篠の戦のとき,留守を預かる妻に宛てた「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」という手紙は短文の好例として有名である。のち石川数正出奔後,岡崎城を任されたが,そのとき豊臣秀吉の母大政所を冷遇したということで秀吉の咎めをうけ,家康の関東移封後は上総古井戸3000石に閉居された。

(小和田哲男)

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世界大百科事典 第2版の解説

ほんだしげつぐ【本多重次】

1529‐96(享禄2‐慶長1)
戦国・織豊期の武将。通称作左衛門。重政の子。1535年(天文4)より徳川家康の祖父清康,ついで父広忠,家康の3代に歴仕し,武功をあらわした。80年(天正8)高力清長天野康景とともに奉行となり,岡崎三奉行一人として著名。剛邁で怒りやすい性格から〈鬼作左〉と呼ばれた。90年豊臣秀吉の命によって屛居。しかし家康は屛居のまま3000石を与えて軍役を免じた。【所 理喜夫】

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大辞林 第三版の解説

ほんだしげつぐ【本多重次】

1529~1596) 安土桃山時代の武将。通称、作左衛門。鬼作左と呼ばれる。徳川氏の臣として清康・広忠・家康の三代に仕えた。陣中から妻にあてた「一筆啓上、火の用心、おせん泣かすな、馬肥やせ」という簡潔な手紙文で有名。

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