本多重次(読み)ホンダシゲツグ

デジタル大辞泉 「本多重次」の意味・読み・例文・類語

ほんだ‐しげつぐ【本多重次】

[1529~1596]安土桃山時代武将徳川家康家臣通称作左衛門。勇猛で知られ、鬼作左おにさくざと称された。陣中から妻に送った「一筆啓上火の用心おせん泣かすな、馬肥やせ」の手紙は、簡潔な文面で有名。

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精選版 日本国語大辞典 「本多重次」の意味・読み・例文・類語

ほんだ‐しげつぐ【本多重次】

  1. 安土桃山時代の武将。通称作左衛門。家康に仕え、一向一揆討伐掛川の戦などで活躍。陣中から妻に書き送ったといわれる「一筆啓上、火の用心、おせん泣かすな、馬肥やせ」の簡潔な文面は有名。享祿二~文祿五年(一五二九‐九六

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改訂新版 世界大百科事典 「本多重次」の意味・わかりやすい解説

本多重次 (ほんだしげつぐ)
生没年:1529-96(享禄2-慶長1)

戦国・織豊期の武将。通称作左衛門。重政の子。1535年(天文4)より徳川家康の祖父清康,ついで父広忠,家康の3代に歴仕し,武功をあらわした。80年(天正8)高力清長,天野康景とともに奉行となり,岡崎三奉行の一人として著名。剛邁で怒りやすい性格から〈鬼作左〉と呼ばれた。90年豊臣秀吉の命によって屛居。しかし家康は屛居のまま3000石を与えて軍役を免じた。
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朝日日本歴史人物事典 「本多重次」の解説

本多重次

没年:慶長1.7.26(1596.8.19)
生年享禄2(1529)
戦国・安土桃山時代の武将。通称八蔵,作十郎といったが,作左衛門の名が有名。剛毅な性格とふるまいから「鬼作左」と恐れられたという。松平氏譜代の本多重正の子で7歳から松平清康,広忠に仕え,家康の重臣として,永禄8(1565)には三河三奉行のひとりとなった。天正3(1575)年の長篠の戦のとき,留守を預かる妻に宛てた「一筆啓上火の用心お仙泣かすな馬肥やせ」という手紙は短文の好例として有名である。のち石川数正出奔後,岡崎城を任されたが,そのとき豊臣秀吉の母大政所を冷遇したということで秀吉の咎めをうけ,家康の関東移封後は上総古井戸3000石に閉居された。

(小和田哲男)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本多重次」の解説

本多重次 ほんだ-しげつぐ

1529-1596 戦国-織豊時代の武将。
享禄(きょうろく)2年生まれ。本多重正の子。松平清康・広忠につかえ,徳川家康の重臣となる。岡崎三奉行のひとりで,はげしい性格から鬼作左とよばれた。長篠(ながしの)の戦いのとき,妻にあてたみじかい手紙は有名。文禄(ぶんろく)5年7月26日死去。68歳。通称は八蔵,作十郎,作左衛門。
【格言など】一筆啓上,火の用心,お仙泣かすな,馬肥やせ(妻あての手紙)

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