本寺村(読み)もとでらむら

日本歴史地名大系 「本寺村」の解説

本寺村
もとでらむら

[現在地名]磐梯町磐梯

大寺おおてら村の北に位置し、北部には大平おおひら(五〇九・六メートル)古城こじようヶ峰(一二八七・八メートル)などの山々がそびえる。川西組に属した。「新編会津風土記」によると、古くは大寺村一村で、同村をもと町、本寺村をあら町と称し、総称大寺といっていたが、正保四年(一六四七)二村に分村した(宝永七年「道筋覚書」薄家文書)。享和三年(一八〇三)の地志扁集(恵日寺蔵)に「村地南北弐丁四拾五間 東西二丁三十五間 内二町割に而」「家数東頬十三軒同裏家拾弐軒 西がわ十三軒同裏家十二けん 都合五拾軒 其内寺壱ケ寺 修(験)壱軒 灯明坊のあん壱軒 恵日寺役坊四軒」とみえるように、恵日えにち寺の門前集落として発達、中世には寺領取立役人一三人によって村政が行われていたが、「但シ取立役人拾三人ハ唯々一人ニ成ル 其壱人ハ佐藤勘解由と申而是会津の肝煎之始成リと申伝候」(同文書)と変化したといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報