本木分
もときぶん
[現在地名]山都町相川
藤沢村の北、一ノ戸川の中流域山間に位置する。古くは藤沢村の端村であったが、文化年中(一八〇四―一八)頃、同村より分れた(文化一五年村日記など)。寛文六年(一六六六)の「会津風土記」に藤沢村の端村として本木・道ヶ沢がみえる。享保一八年(一七三三)の木曾組手鑑(真部家文書)では高四六四石余(うち新田二二一石余・新畑二六石余)、本田畑は免六ツ三分で、田方一一町一反余・畑方一七町余、家数五〇(竈数五〇)・人数二六三、雑駄二一。漆木役五六八本三分などを負担していた。「新編会津風土記」では一ノ戸川西岸の本村集落は家数八、ほかに同川の東に堂目(道目)・腰巻の一区があり、堂目は家数一五、腰巻は四、また道ヶ沢は家数二。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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