本楯村(読み)もとだてむら

日本歴史地名大系 「本楯村」の解説

本楯村
もとだてむら

[現在地名]寒河江市寒河江

楯南たてみなみ村の東に位置。東は最上川で限られ、本楯河岸がある。大江広元から寒河江庄の目代として派遣された多田仁綱が、鎌倉時代初期に築いたと伝える館跡の所在地で、現在もその跡が若干残っている。館跡は最上川河岸段丘端に構築され、およそ東西一一〇間・南北一〇〇間、堀幅一二間の内側に土塁を築いたものであった。寒河江庄経営の本拠が、この本楯から内楯うちだて(寒河江城)へ移った時期は明確でないが、大江氏時代は重要な砦であった。

最上氏改易後は幕府領(山形藩預地)、寛永三年(一六二六)から同一三年まで山形藩領、寛政一〇年(一七九八)長瀞藩領、弘化二年(一八四五)以降上野館林藩領。


本楯村
もとたてむら

[現在地名]酒田市本楯

荒田目あらため村の北、若王寺やこうじ村の南にある。本館村とも記した。元和八年(一六二二)の酒井氏知行目録では高七三石余と八石余の計八二石余。寛永元年庄内高辻帳の高八五石余。貞享四年(一六八七)草刈地の鷹尾たかお山の山札二枚を所有し、米二升を納入(「鷹尾山新古留帳」相馬文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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