寒河江城(読み)さがえじょう

日本の城がわかる事典 「寒河江城」の解説

さがえじょう【寒河江城】

山形県寒河江市にあった室町時代の平城(ひらじろ)。鎌倉時代、寒河江荘は幕府政所の別当(長官)だった大江広元に与えられ、嘉禄(かろく)年間(1225~27)に広元の後裔で寒河江荘の地頭となった大江親広(ちかひろ)が居館を建設したのが寒河江城の起源とされている。以後、18代にわたって大江氏(寒河江氏)の居城となった。大江氏は南北朝時代には南朝方に属していたが、北朝方の山形城の斯波最上)氏に敗北して北朝方に降った。第8代の大江時氏の時に、居館を修築して東西約400m、南北約550mの城域に本丸、二の丸、三の丸を配し、三重の堀を持った平城となった。このころ、大江氏は寒河江氏を称するようになった。その後、寒河江氏は最上川西部に8万石を擁する大勢力となったが、1584年(天正12)に出羽の統一を進める山形城の最上義光との戦いに敗れ滅亡した。その後、同城は義光に降った一族の寒河江肥前城主となったが、肥前は義光の死去に際して殉死し、同城は空城となった。1622年(元和8)の最上氏改易後、鳥居忠政が山形藩主となると、寒河江城は鳥居氏の預かりとなり、二の丸、三の丸などの土塁が崩され、1636年(寛永13)、鳥居氏の改易にともない廃城となった。現在、本丸跡は寒河江小学校になっており、同校の敷地内に城址碑が建っている。平城だったこともあり、城の遺構はほとんど残っていないが、三の丸にあった辰巳門は同市内の澄江寺山門として移築されて現存し、寒河江市指定有形文化財となっている。JR左沢(あてらざわ)線寒河江駅から徒歩約10分。

出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報

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