日本歴史地名大系 「酒田湊」の解説
酒田湊
さかたみなと
最上川の河口に開けた湊で、「羽州第一の津湊、(中略)九州・中国および九州・大坂より廻船交易のために此浦に泊して、国中の産物を積事なり」(古河古松軒「東遊雑記」)と評された。中世には最上川左岸、田川郡の
康正元年(一四五五)の玉漱軒記写(種月寺文書)に「逆沱浦、舟船都会之津也」とあり、湊には十州三島の珍貨が集まったとその繁盛ぶりを記す。酒田山王宮附修験旧記(飽海郡誌)には、明応年中(一四九二―一五〇一)向酒田の戸数一千軒余、当酒田は一四〇―一五〇軒余とみえ、向酒田の繁栄ぶりを伝える。当酒田にある寺で草創の場所を向酒田とする寺も多い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報