本渡ノ瀬戸
ほんどのせど
上島と下島が相対する水道。慶安四年(一六五一)の肥後国大道小道等調帳(県立図書館蔵)に「本戸之渡四町、干塩之時者歩渡、満潮之時者船渡」「本戸瀬戸口ヨリ姫之浦迄五里弐拾町、但本戸瀬戸口より下浦迄一里之間満塩ノ時者牛馬不通」とあり、古来、満潮時のみ有明海と八代海(不知火海)を結ぶ天然の運河になっていた。「太宰管内志」は「ホンドノワタリ十町或は二十町汐のひる時はかちわたりす汐のたゝへには十段位の舟はとほると云」と記す。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 