本田良寛(読み)ホンダ ヨシヒロ

20世紀日本人名事典 「本田良寛」の解説

本田 良寛
ホンダ ヨシヒロ

昭和期の医師 大阪社会医療センター付属病院長。



生年
大正14(1925)年2月27日

没年
昭和60(1985)年7月1日

出身地
大阪府大阪市

学歴〔年〕
大阪市立医学専門学校(現・大阪市立大学医学部)〔昭和24年〕卒

主な受賞名〔年〕
大阪文化賞〔昭和41年〕,吉川英治文化賞〔昭和55年〕

経歴
昭和24年父親の死で医院を継いだ後、大阪城東側に戦後出現したアパッチ集落の住民たちと約10年間心温まる交流を続け、集落の解散にまでこぎつけたエピソードの持ち主。45年からは西成区の愛隣総合センター内に完成した大阪社会医療センター付属病院の初代院長として約22年間、あいりん地区(釜ケ崎)で日雇い労働者たちへの医療に献身的に従事し、“赤ひげ先生”“りょうかん先生”と慕われていた。「にっぽん釜ケ崎診療所」などの著書がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「本田良寛」の解説

本田良寛 ほんだ-よしひろ

1925-1985 昭和時代後期の医師。
大正14年2月27日生まれ。開業医をつぎ,昭和38年から大阪市西成区のあいりん地区(釜ケ崎)で医療活動にあたる。45年発足の大阪社会医療センター付属病院長となる。「釜ケ崎の良寛(りょうかん)さん」として知られた。55年吉川英治文化賞。昭和60年7月1日死去。60歳。大阪出身。大阪市立医専(現大阪市立大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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