日本歴史地名大系 「西成区」の解説 西成区にしなりく 大阪府:大阪市西成区面積:七・四二平方キロ大阪市の南西部に位置し、北は浪速(なにわ)区、東は阿倍野区、南は住之江区、西は木津(きづ)川を挟んで大正区。区の北端を国道四三号・国鉄大阪環状線が、東部を阪堺電軌阪堺線・南海電鉄本線・国道二六号が、西部を阪神高速大阪―堺線がほぼ南北に通る。区名は当地がかつて属した西成郡にちなんでつけられた。上町(うえまち)台地の西側に位置する区域は、古くは海で、木津川などの堆積作用や海退によって順次陸地化していった。中世に入っても西部は海で、東部が海浜化していた程度といわれる。仁治年中(一二四〇―四三)勝間大連による木妻(こつま)浦(勝間浦)開発と移住伝承が伝えられるが定かでない。なお、「万葉集」などにみえる津守(つもり)浦、「和名抄」にみえる西成郡津守郷、また「勘仲記」にみえる津守庄は、当区を含む古代・中世の海岸地帯付近にあったとされるが、これも未詳。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「西成区」の意味・わかりやすい解説 西成〔区〕にしなり 大阪市中部南西寄り,木津川左岸の区。 1925年第2次市域拡張に伴い新設。西部の津守は元禄 11 (1698) 年に開発された新田で,明治初期までは近郊農業地であったが,木津川を経て大阪湾と直結できるため,造船所をはじめ製鋼,セメントなどの大工場が立地し,現在は大阪臨海工業地域の一部をなす。中部は商業地区で,特に鶴見橋通り一帯は皮革問屋街として知られる。東部は住宅地区で,北東部の旧東・西入船町付近は,かつては釜ヶ崎と呼ばれたスラム街であったが,66年にあいりん地区と改称,環境整備が進んでいる。南海電気鉄道本線,同高野線,阪堺電気軌道阪堺線のほか地下鉄四つ橋線が通り,天下茶屋は堺筋線の起点。面積 7.37km2。人口 10万6111(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報