日本大百科全書(ニッポニカ) 「朽木貞綱」の意味・わかりやすい解説
朽木貞綱
くつきさだつな
(?―1485)
室町中期の武将。貞高(さだたか)の子。通称弥五郎、刑部少輔(ぎょうぶのしょうゆう)。朽木氏は室町幕府奉公衆(ほうこうしゅう)の家柄で、近江(おうみ)国高島郡朽木荘(しょう)(滋賀県高島市朽木)に居を定め、将軍の信頼が厚かった。貞綱は父の後を嗣(つ)ぎ朽木荘を領し、1468年(応仁2)幕府から足利義尚(あしかがよしひさ)供菜料所(ぐさいりょうしょ)近江国高島郡後一条・安主名(あんずみょう)を預けられるなど信任を得た。妻は甘露寺親長(かんろじちかなが)の娘で政所執事(まんどころしつじ)伊勢貞親(いせさだちか)の養女であるが、73年(文明5)嫡子貞清(さだきよ)を出産したその日に死亡、貞綱も文明(ぶんめい)17年7月17日、父に先だって没した。
[加藤 哲]