20世紀日本人名事典 「杉山常喬」の解説 杉山 常喬スギヤマ ツネタカ 明治〜昭和期の商人 没年(生没年不詳) 出身地長崎県 学歴〔年〕長崎商業学校卒 経歴明治33、4年頃農商務省海外練習生として中国・広東に渡り、中国語と中国事情を研究。日露戦争の際には仏領インドシナ・サイゴンを中心にロシア・バルチック艦隊の動静を探った。その後も広東に留まり、商業に従事しながら長年日本人渡航者のために尽くした。中国人女性と結婚し、中国人同様の生活をしていたが、その後の俳日運動によって財産を失い、事業にも失敗。昭和7年頃アモイで客死したと伝えられている。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杉山常喬」の解説 杉山常喬 すぎやま-つねたか 1878/79-1932ごろ 明治-昭和時代前期の大陸浪人。明治11/12年生まれ。33年ごろ,農商務省海外練習生として清(しん)(中国)広東にわたる。日露戦争の際には,フランス領インドシナにいき,ロシアのバルチック艦隊の動静をさぐる。その後も広東で商業に従事したが,排日運動のため財産をうしない,昭和7年ごろマカオで客死したという。54/55歳?長崎県出身。長崎商業卒。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by