杉山登志(読み)スギヤマ トシ

20世紀日本人名事典 「杉山登志」の解説

杉山 登志
スギヤマ トシ

昭和期のCMディレクター



生年
昭和11(1936)年8月7日

没年
昭和48(1973)年12月13日

出生地
旧朝鮮・釜山

学歴〔年〕
日本大学芸術学部〔昭和33年〕中退

主な受賞名〔年〕
カンヌ国際広告映画祭グランプリ「資生堂チェリーピンク

経歴
CMプロダクション・日本天然色映画社(JCP)入社。広告映画ディレクターと同時に撮影まで自分でこなし、その映像美はCM映像時代の象徴といわれる。特に1960〜70年代に多くの秀作を残し、前田美波里に始まるサマーキャンペーン、「チェリーピンク」「MG5」、秋川リサの資生堂石鹼などの資生堂のCM、トヨタ自動車の「マークII夫妻」、モービル石油の「のんびり行こうよ」などが代表ヒット作。しかし、「夢がないのに夢をうることなどは…とても、嘘をついてもばれるものです」と遺して自殺した。テレビCM界の“鬼才”とうたわれた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「杉山登志」の解説

杉山登志 すぎやま-とし

1936-1973 昭和時代後期の広告制作者。
昭和11年8月7日朝鮮釜山生まれ。日本天然色映画の広告映画ディレクターとなる。資生堂化粧品のMG5などについで,昭和46年のモービル石油の「のんびりいこうよ,世の中は」など夢とセンスにあふれたテレビCFを制作。昭和48年12月13日自殺。37歳。日大中退。
格言など】ハッピーでないのに,ハッピーな世界などえがけません(遺書)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「杉山登志」の解説

杉山 登志 (すぎやま とし)

生年月日:1936年8月7日
昭和時代のCMディレクター
1973年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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