明治期にはじめて用いられた訳語。「哲学字彙」(一八八一)には「Symbol 表号」とある。中江兆民が挙例の「維氏美学」で、フランス語 symbole に「象徴」を訳語としてあてたのが最初である。
象徴はきわめて多義的な概念であるが,ごく一般的には,たとえば鳩は平和の象徴であるとか,王冠は王位の象徴であるとかいうように,目や耳などで直接知覚できない何か(意味や価値など)を,何らかの類似によって具象化したもの(物や動物や,あるいはある形象など)をいう。〈象徴〉を意味する西欧語(英語のシンボルsymbolなど)の語源は,ギリシア語の動詞symballein(〈いっしょにする〉の意)からきた名詞シュンボロンsymbolonで,何かのものを二つに割っておき,それぞれの所有者がそれをつきあわせて,相互に身元を確認しあうもの=割符を意味した。さらに広く,何かを共有していることで,同じ共同体の構成員であることを示す場合にも用いられた。このように,シンボルは,もともと,2項(象徴するものとされるもの)間にある何らかの類似による対応関係を含むとともに,集団的,社会的に承認された一定の約束事としての社会的性格を含んでいる。
しかし,シンボルは,必ずしも類比による対応関係を含まぬ場合にも用いられる。17世紀にライプニッツは,数学記号の意でこの語を用いたが,今日,数学の計算過程(アルゴリズム)に含まれるxやy,+や-などの諸記号をはじめ,論理的推論を表す数学的記号もシンボルであり,また物理記号や化学記号にもシンボルの語が用いられる。これらの場合には,日本語では〈記号〉という訳語が当てられる。このように,西欧語のシンボルの用法は,具象化ないし形象化から抽象的表出まで種々の場合があるが,総じて,単なる言語的標識ではない広い意味での〈記号〉といいうる。日本語では,主として本来的な,すなわち言語によらない,自然的である意味において非合理的な表出としての記号のみをいう場合がふつうである。
ところで,20世紀に入って,西欧近代の理性主義的観念体系の根底が批判され,また人間諸科学がめざましく発展すると,言語学や精神分析ないし心理学,民族学=人類学や社会学,美学,芸術学や宗教学などの分野で,〈象徴〉という用語は,以下の記述にみられるように,いっそう多様に用いられるとともに,重要な探究の対象となった。とくに言語学(ソシュール,ヤコブソン,バンブニストら)と精神分析(S.フロイト,ユング,ラカンら)の影響の下に,象徴するものとされるものの自然的対応関係の解釈だけでなく,自然的関係を超えた象徴作用(シンボリズムsymbolism)そのものの探究が深められた。こうして,たとえばレビ・ストロースが,〈社会は,本性として,その慣習,その制度のうちにみずからを象徴的に表出する〉といい,〈すべての文化は,諸々の象徴体系からなる一個の統合体であり,その最前列に言語活動,婚姻規則,経済関係,芸術,科学,宗教が位置する〉(モース《社会学と人類学》への序文)と述べたように,象徴作用の探究は,構造主義や記号論的方法の深化とともに,人間的諸事象(流行や広告,都市化現象や政治言語などにまでいたる)の解明の中心課題の一つとなっている。
→記号
執筆者:荒川 幾男
世界を探究し,認識し,表現するために,また世界に働きかけるために,象徴を用いる度合と仕方は社会と文化によって異なる。近・現代以前の社会においては,象徴と象徴的思考が生活と文化の中で重要な役割を果たしていた。現代社会においては,少なくとも表面的には,あるいはまた制度化された部分においては,象徴的思考が占める位置はかつてより小さくなったと考えられている。しかし,このことは,現代社会において象徴的思考が力を失ったということをただちに意味するものではない。
象徴は単なる信号や一義的な記号とは異なる働きをする。それは,現実や経験の異なる領域を結びつけるとともに,それらの領域を相互照射の関係に置くことによってそれぞれの深みと豊かさを増す。象徴が多義的であり,かつ象徴作用によって結びつけられる項の一方は,しばしば,言語によっては表現しがたい,いわば深層の隠されたものだという点も重要である。一般的に言って,象徴は,精神を一つの課題に直面させ,探究的な思惟へと向かわせ,さらに思考をいわゆる一義的な記号の閉じた回路から解き放つと同時に,精神をある全体的なものに向かわせる働きをもつといえよう。
たとえば右手と左手。右手と左手の機能差は単なる生理的な事実でしかない。ところが,現在知られている多くの社会において,右(手)は,しばしば,善,強さ,秩序(コスモス),生,光,男などを象徴し,左(手)は,悪,弱さ,混沌(カオス),死,闇などを象徴する。ただし,右と左がそれぞれ独立にこれらの事象を象徴しているのではなく,右と左の対比(関係)が,たとえば秩序(コスモス)と混沌(カオス)の対比(関係)を象徴しているのである。いずれにしても右-左のそれぞれと結びつく事象がかなりの社会で共通であることから,この結びつきがまったくの偶然もしくは恣意によるものとは考えがたい。おそらく,右と左のシンボリズムは,一方では,生理的・肉体的レベルの不分明な経験を他のレベルの事象や観念と照応させることによって明確化・意識化するとともに,他方では,抽象的な観念を具体的・空間的レベルにおいて経験することを可能にしているのであろう。この場合には,象徴するものとされるものの関係は相互的なものであり,互いに照射し合い意味を付与し合っているのである。同様のことは,色彩や熱-冷,乾-湿のシンボリズム,性交や出産などの生理的事象と浄-不浄,秩序(コスモス)-混沌(カオス)といった観念との結びつきについても言うことができよう。
イメージを駆使する象徴的思考は説話においても重要な働きをしており,神話はその代表的な例である。アフリカには,次のような天地分離の神話が広く分布している。太初,天と地は大人が手をのばせばとどくほど近かった。したがって天の神も人間の近くに住んでいた。そのころ人間は死も病気も知らなかった。食べるために額に汗して働く必要もなかった。神が食料となる穀物を与えてくれたので,人間はそれを杵でつくだけでよかった。ただし神は1回に神が指定した量以上のものをつくことは禁じた。ある日,一人の女が,きめられた量以上の穀物をつこうとして,それまでよりも長い杵を用いたため,ふり上げた杵の端が神に当たった。神は怒って天上はるかに去り,天と地も現在見られるように遠く離れてしまった。そのとき以来,人間は死を与えられ,また食物を得るためには額に汗して働かなくてはならなくなったという。
この一見ごく単純で他愛もない〈お話〉は,人間の歴史とその運命に関する複雑で深い思想や社会認識や,おそらくは農耕の起源とそこで女たちが果たした役割に関する歴史的記憶などの象徴的な表現である。天と地が近接していたというイメージは,事物が今日のように分化していなかった状態を象徴的に表現すると同時に,大人が背をかがめて歩かなければならなかったというコメントが加えられることからもわかるように,神に対する人間の依存と窮屈さの状態の象徴でもある。女のささやかな不従順さが世界の大変動の引金となる。神は人間から遠く離れ,人間は死と病気に苦しめられ,額に汗して働かなければならなくなったが,自律的な存在ともなった。いずれにしても,人間が人間となり,人間世界固有の歴史が始まるのはこのできごとによってなのである。それにしても,なぜ女なのか。なぜ穀物なのか。また,神に対して不従順であったとはいえ,女が家族のためにより多量の穀物をつこうとするのは当然ではないだろうか。かくもささいなできごとのために,神が世界にこんなにも大きな変化をもたらしたということをどう理解すればよいのか。この象徴的な小神話は果てしない思索をわれわれに始動させる。もしこの神話が明確な輪郭をもった概念で表現されつくされたならば,この神話は存在理由を失うのか。そうではあるまい。杵で穀物をつく女の姿は,今日に至るまで,サバンナの村々のもっとも典型的な光景の一つである。それはもっとも日常的であると同時に原イメージとも呼びうるものの一つである。それはメッセージを伝達すれば存在理由がなくなる媒体といったものではない。この神話のメッセージは,この日常的イメージ抜きで十全に伝えうるものではない。このように,原イメージをめぐる単純極まりない説話の中に,概念的思考が無数の言葉を費やしてなおくみ尽くしえない思想と観念を喚起し,それらを日常的イメージとの相互浸透の関係におくことこそ,象徴および象徴的思考の働きなのである。
象徴の力は世界と人間に具体的に働きかけるためにも用いられる。象徴が組織する経験の多様性に,また,知・情・意を含む全体的な精神作用を喚起し方向づける作用のゆえに,象徴が人間の経験世界を操作するために用いられるとき,それはきわめて有効に働く。そのもっとも代表的なものは各種の儀礼である。成年式,即位式,新年の儀礼,豊穣儀礼,治療儀礼など,諸儀礼は基本的には象徴の操作という形をとる。
中央アフリカに住むヌデンブ族の母系社会においては,乳のような白い樹液を出す〈ミルクの木〉はもっとも中心的なシンボルの一つである。ミルクの木は,授乳に代表される生理的なものに根ざす母と娘の情緒的なつながりを象徴する。このつながりは,少女が母から独立して妻となり母となることを妨げる反社会的な力ともなる。〈ミルクの木〉はまた,男に対する女たちの団結のシンボルであり,さらに母系の理念とヌデンブ社会の統合と永続性のシンボルである。このようにさまざまなレベルと側面を含んではいるが,全体としてみれば,〈ミルクの木〉は,矛盾や葛藤を含みながらも統合を保って永続するヌデンブ族の世界のシンボルなのである。
ヌデンブ社会でもっとも重要な儀礼の一つである成女式は,この〈ミルクの木〉の周囲で行われる。成女式を受ける少女たちは,裸で〈ミルクの木〉の根元に横たわる。彼女らは動いてはならない。これは,死体の状態であるとも胎児の状態であるともいわれ,母を中心とする家庭内の存在としては一度死に,妻となり母となるべき成人女性として生まれかわるという〈死と再生〉の過程を象徴している。成女式の最初の段階では,既婚女性だけが〈ミルクの木〉のまわりで踊り,まず男女の対立が表現される。男たちは〈ミルクの木〉に近づくことが許されず,遠まきにして眺めている。女たちはさまざまな仕方で男たちを愚弄する。成女式を受ける少女の母親と既婚女性の間の対立や敵意も嘲弄や模擬的な戦いによって表現される。成女式が進むにつれて,これらの対立がしだいに克服され,母系社会の連続性を支える新しい成人女性をつくり出すための協同の輪が広がる。成女式によって人々は〈ミルクの木〉が象徴するものを表現し経験すると同時に,社会的なプロセスとしてもそれを実現するのである。
→儀礼 →神話
執筆者:阿部 年晴
宗教は,超経験的な実在や崇拝対象をめぐる体系であるから,宗教行動や神話,儀礼が豊富な象徴性を含むのは,いわば当然ともいえよう。広義にとらえると,象徴とは別のなにものかを指し示す記号と定義しうる。それゆえに,その機能は多岐にわたるが,とくに宗教における象徴を考える場合,そこには幾つかの基本的特徴が見いだされる。
まず第1に,それは数学や一般科学でいう象徴と異なり,指示対象が特定しえない場合が多い。すなわち,宗教的象徴は同時に幾つかの参照項をもつということである。ときには同一の象徴がまったく正反対の意味を示すことさえある(ニコラウス・クサヌスの〈相反するものの一致coincidentia oppositorum〉)。そして,それゆえに,ひじょうに簡素な構造をもつ神話や儀礼がさまざまな意味レベルをもつのである。第2に,宗教的象徴はその形状を変化させることが少ないという特徴をもつ。つまり,時代の変化に従って意味を変えることはあっても,象徴そのもの(たとえば十字架とか車輪とか,もろもろの動物文様など)は時代を超えて一貫して存続する傾向がある。このことを明確に示したのが美術史のワールブルク研究所に拠る人々(E.パノフスキー,F.ザクスル,E.ウィントなど)の業績である。第3に,それは実存的価値をもち,世界をあるまとまった全体として理解させる働きがある。つまり,宗教的象徴は〈直接経験の段階で明らかにしがたい実在の様式や世界の構造をあらわにする能力〉(M.エリアーデ)をもつのである。それらは象徴を通じることによってのみわれわれと交流可能になるのである。それゆえに,ある宗教的象徴をとり入れるということは,現実を理解するためある文化的様式を採用するというばかりではなく,適切な社会的行動基準をも選択していることになる。
さて,こうした特定の明白な象徴作用--たとえば,太陽と車輪など--に限定される表現形態とは異なり,E.カッシーラーは,実在と精神とを媒介するあらゆる表象を象徴と呼んだ。この両者に関しては,P.リクールがその調停を目ざし,象徴を〈解読を要求する両義的表現〉として規定している。いずれにしても,象徴はさまざまな方法で思考を促進する。たとえば,抽象的なものを具体的なものに翻訳するとか,不定型のものを定型化するとか,複雑なものを単純化するとか,見知らぬものを見慣れたものに変形して示すことによって,われわれの理解をおしすすめるのである。たとえば,善-悪のような特質を白-黒,右-左という対照によって示したり,衣装をとりかえることによって両性具有を表現したりするように。エリアーデは,象徴の問題をとり上げる場合に,その背景として欠くことができないのは(1)深層心理学,(2)シュルレアリスム,(3)〈野生の思考〉(レビ・ブリュールからレビ・ストロースに至る)の研究の展開であると指摘している。なかでも,S.フロイト,C. G. ユングを代表とする精神分析,深層心理学の業績はそれ以後の象徴研究に大きな影響を与えた。
フロイトは《夢判断》(1900)のなかで,(1)夢の象徴では,特定の表象(蛇,杖など)によって別の表象(ペニス)が置き換えられる。(2)その両表象間の関係は現実的なものではなく内的な連想関係に基づく。(3)それは無意識的なものである。(4)夢の象徴には,個人的なものと普遍的類型的なものがある,等々の機制を明らかにした。一方ユングは,象徴がわれわれの感情的体験や無意識と原初的に結びついている点を強調し,さらに普遍化しようと試み,《リビドーの変遷と象徴》(1912)を発表した。それは宗教学にも大きな影響を与え,E.ノイマン,J.キャンベルなどが次々と業績を発表したが,なかでも代表的なものとして,G.デュラン《想像的なものの人類学的構造》(1969)がある。
こうしたある種の類型論的な象徴解釈に対しては当然批判も多く見られる。それを要約すると,いずれの象徴もある特定の歴史的背景と社会的状況のなかで意味を与えられ,内容を豊かにしてきたもので,普遍的な象徴解読の方法など存在しない,というものである。しかしながら,われわれは,歴史的研究と観察によって事実をありのままに記述するとともに,深層に隠された部分をも読みとるため,ある種の解読格子にあたる象徴の一般理論をもつねに必要とするのではなかろうか。
執筆者:植島 啓司
造形美術において象徴性がとくに問題となるものは,原始美術および中世美術であり,すべて不可視的な絶対者,超絶的な力や霊魂に関する諸観念が,直接間接に作品製作意図の根底に存する宗教的美術においてである。これらのほか,19世紀後半から,文学における象徴主義に代表される思潮と並行して現れる近代美術における一傾向があげられる。
原始美術に見られる簡単な形状で,しかも,しばしば不可思議な表現をもつ人像や動物形,怪物形は,繁栄・多産・多収穫を意図する呪術や宗教的儀礼の意味をになっており,護符・棒竿から器物・織物を飾る文様図形もまた,その様式化された動植物形のうちにしばしば魔力や聖性を負荷された樹木や獣類,ヘビ類,人物があとづけられ,波線・鋸歯(きよし)文・組紐文・渦文・円輪文・火炎輪のごとき幾何学図様にもしばしば水流や雨,太陽などの神聖視された自然現象の象徴がうかがわれる。そして,これら文様図形は,その象徴性のために,堅固な存在を保証され,しばしば象徴の内容を変えながらも,あるいはまったく純装飾図形と化しながらも,諸文化を経過し,なかには今日に及んでいるものもある。
古代ギリシア美術は,神々の像を中心に明快な理想的人間像を実現することによって,神話世界の諸観念を明確化し,透明化した。以前の超人間的な威力や存在の象徴は,ゼウスの雷や鷲,ヘルメスの蛇と杖のように神々のアトリビュートattribute(持物)として,わずかに存続する。ここでは諸観念(たとえば〈平和〉〈富〉)や自然物や自然現象(たとえば山,川,風,日,月,昼,夜)が人間の形象をもって表される擬人法(アントロポモルフィスム)が現れて,寓意像が作られるにいたる。
この古典古代美術の人間像は,キリスト教美術における神の観念や仏教美術における仏・菩薩の観念の人像表現に直接間接に反映した。しかし,キリスト教美術においては,当初,古代の偶像崇拝に対する排斥から神やキリスト(イエス・キリスト)を直接表現することをさけ,天から出る神の手の象徴をもちい,ことにキリストはカタコンベの壁画や石棺浮彫に見られるように,羊・魚・ブドウまたは〈善き羊飼い〉として象徴的に表され,髯濃いオリエント風の現実感の強いキリスト像が採用されるにいたっても,これと並んで十字の象徴が行われる。磔刑図は中世前半において,とくに象徴的表現をとり,後にいたるまで教義の説明としての意味が強い。西洋中世のキリスト教美術は,キリスト教的象徴主義の絶頂であって,教会堂建築から装飾である彫刻・絵画にいたるまでキリスト教的世界観を象徴する形象を示している。教会堂は,整然と石をもって空高くまで築かれたゴシック建築に見るように,神の摂理の行われる宇宙の像であり,またしばしばキリストの身体にたとえられる。おびただしい人像・動植物像から怪物類まで,神の創造になる森羅万象を象徴し,新約・旧約聖書の語る人類の歴史的存在を語り,神・聖母・天使・預言者・使徒・聖人から一般人・悪魔にいたる諸像がキリスト教的価値の階層に従って配列される。さらに光背・持物から怪獣・怪鳥にいたる諸象徴が複雑な意味をになう。また,四大・自由七科・十二美徳悪徳の寓意像から月暦の寓意像を配置し,ゴシック式教会堂全体が膨大なキリスト教的宇宙の象徴をなしている。これに加えて,数および位置の象徴的意味があり,天上的数3と地上的数4,それを合わせた宇宙的数の7および12の解釈と古代ギリシアからうけついだ数的調和と比例が構成・配置に適用される。のみならず森羅万象自体が神の創造とキリストの贖罪を示すべき象徴であり,ときに神はコンパスをもち,球体を測る宇宙の建築家の姿で表されている。
15世紀以来,西洋美術が組織的な写実主義による外的世界の再現描写を中心として一新されるに及んで,中世的象徴主義の芸術は崩壊するが,その後もさまざまの象徴形象が残存するのみならず,世界像の根底にかかるキリスト教的象徴主義が存続することは見のがすことができない。15世紀のファン・アイクが描いた細密な絵画は,その写実的自然像の背後にこのような象徴的意義をつねに包蔵し,同世紀のボスの悪魔的な世界も当時の逆宇宙思想によって解明される象徴主義的表現ともいえよう。15世紀イタリアの中心課題であった透視図法は,神の創造になる宇宙の基本形式という観念と新プラトン主義の所産であり,レオナルド・ダ・ビンチも深い象徴主義の底流に貫かれている。さらにミケランジェロ,ティントレットや16世紀マニエリスムの宗教画は新しい意味でのキリスト教象徴主義の復興とも見られ,17世紀には北方のカラバッジスト,レンブラント,晩年のプッサンにこのような傾向が強くうかがわれる。
18世紀は現世主義傾向のもとにおおわれるが,この世紀の終りから19世紀前半のロマン主義とともに,個人の内的世界の解放露呈という形のもとに新しい象徴主義傾向がきざし,W.ブレーク,ベックリン,ピュビス・ド・シャバンヌ,カリエール,G.モロー,ルドンらが相ついで従来の表現様式のもとに夢幻的世界の表現を行い,近代絵画の象徴主義的潮流の前駆をなした。
→アレゴリー →キリスト教美術 →象徴主義
執筆者:吉川 逸治
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…ドライデンの《アブサロムとアキトフェル》(1681),スウィフトの《桶物語》(1704),S.バトラーの《エレホン》(1872),G.オーウェルの《動物農場》(1945)などはその優れた例である。以上のように,アレゴリーの概念ないし用法は広範多岐にわたり,文学上の一つのジャンルとしてではなく,比喩的,暗示的,象徴的,風刺的な,文学作品の構成法ないし表現法として把握すべきものである。寓話【安東 伸介】
【造形芸術】
造形芸術におけるアレゴリーとは,徳目,罪源,運命,愛,時間,名声のような抽象概念を,単独ないし複数の像によって視覚化した図像表現をいう。…
…日本国憲法が天皇に権能として認めた〈国事に関する行為〉の略称。現憲法は,天皇を〈日本国の象徴〉〈日本国民統合の象徴〉と定めたが(1条),その天皇が公的になしうる行為は,憲法の定める国事行為に限られている(4条1項)。具体的には,(1)内閣総理大臣の任命,(2)最高裁判所長官の任命,(3)憲法改正・法律・政令・条約の公布,(4)国会の召集,(5)衆議院の解散,(6)国会議員の総選挙の施行の公示,(7)国務大臣および法律の定めるその他の官吏の任免ならびに全権委任状および大使・公使の信任状の認証,(8)大赦・特赦など恩赦の認証,(9)栄典の授与,(10)批准書および法律の定めるその他の外交文書の認証,(11)外国の大使・公使の接受,(12)儀式の挙行であり(以上6,7条),(13)国事行為の委任(4条2項)をこれに含めてもよい。…
… 以上のような区分,分別に対して,コミュニケーションをその手段により分類して,より解釈的にとらえることができる。この場合は,非言語的non‐verbalコミュニケーションと言語的verbalコミュニケーションの二つにまず大別し,さらに前者は表情,身ぶりなどの身体的記号を用いるものから,ものによる象徴,さらには音楽,図像などの複雑な象徴の結合を含むものまで,さまざまな段階に分類することができる。後者も,音声によるものと,文字や図式という複雑な記号体系を用いるものとに分けられ,さらにさまざまな媒体による分類が可能である。…
…男たちが新しく掘った穴は出産と生とを表す。患者である女は裸で,生命の象徴である白いニワトリを抱いて,二つの穴の間を往復しながら治療を受ける。裸であることは胎児を表すとも死を表すとも言われる。…
…さらに,自然物そのものに神格を与える場合は別として,一般の宗教には超人間的存在に一定の可視的形象を与えてこれを礼拝祈願の対象にする傾向がある。それはときには記号的・象徴的であるが,人間の形をかりる場合も多い。神像や仏像がこれである。…
…たとえば〈いぬ〉という言葉はイヌという動物の記号であり,後者は前者の指示対象である。人間が用いる記号は通常,〈象徴symbol〉と〈信号signal〉に分類される。象徴が指示対象を表象しそのイメージを喚起することによって,論理的・抽象的思考を可能にするのに対し,信号は特定の感情を表現したり行動を指示したりすることによって話し手の態度や聞き手との社会関係を表示し,環境への有効な適応を可能にするものである。…
…
[観念体系としての文化]
文化を適応体系として見る上述の見解と対照的に,文化を観念体系としてとらえる立場がある。それには,文化を認識体系としてとらえるもの,文化を構造体系としてみるもの,文化を象徴体系として見るものがある。認識体系としての文化を力説したのはグッドイナフW.Goodenoughである。…
…ある人物をテレビに映し,それを写真にとり,さらにコピーすると,実物→テレビ→写真→コピーと四つの次元を異にした表現が可能であるが,どれもその人物の形相をとどめている限り,その人物と認知することができる。この形相の同一性を行為で表現したものが儀式であり,物質で表現したものが象徴である。(4)象徴体系。…
※「象徴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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