改訂新版 世界大百科事典 「李〓の乱」の意味・わかりやすい解説
李の乱 (りたんのらん)
中国,1262年(中統3),南宋に通じた山東の〈漢人世侯〉李璮(?-1262)が元朝に離反した事件。李璮は山東省濰県の人,字は松寿。父李全は,13世紀初頭以来のモンゴルによる金国侵入がもたらした擾乱(じようらん)の間に起こった盗賊集団の首領から身を興し,金,モンゴル,南宋3勢力の交錯する間に巧みに介在して山東随一の勢力を築いた。のち勢力を過信するの余り南宋を侵して揚州に敗死する(1231)。敗残の後を受け継いだ李璮は,爾来モンゴルに服属しつつもっぱら自己勢力の挽回を図ること30年,その間国禁を犯して従事した南宋との密貿易の利にひかれた結果,おりから元朝世祖の即位に伴うモンゴル帝国の内訌に乗じ,故地回復を企てる南宋理宗の教唆に応じた。李璮の反乱は2月に始まり7月には完全に鎮圧されたが,これにかんがみ元朝の対南宋和親政策は一変するほか,太祖(チンギス・ハーン)以来の漢人世侯制が廃止されるという重大な契機となった。
執筆者:愛宕 松男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報