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李儼 りげんLi Nien

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

李儼
りげん
Li Nien

[生]1892
[没]1963
中国の数学史家。字は楽知。中国数学史にかかわるあらゆる分野の研究がある。 閩侯 (福建省) の人。唐山,路こう学堂に学び,1913年隴海鉄局に入る。中華民国時代から,中国科学社の『科学』などに,伝統数学,数学制度史に関する多数の論文を書き,また『中国数学大綱』 (1931) ,『中算史論叢』 (4巻5冊,33~35) ,『中国算学史』 (37) ,『近代中算著述記』など多くの著作を出版した。解放以後は,すぐ北京に戻り,55年に中国科学院ができると,科学院数学研究所および歴史研究所第二所学術委員,中国自然科学史研究室主任になり,59年には全国人民代表会代表に当選。著書に『中国古代数学史料』 (54) ,また,『日本「口遊」書内的中国古代数学史料』という論文を載せた同修訂本 (63) ,『中算家的内挿法研究』 (57) などがある。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

李儼
りげん / リーヤン
(1892―1963)

銭宝(せんぽうそう)(1892―1974)と並ぶ現代中国の数学史家。福建省(びんこう)に生まれ、唐山の路礦(ろこう)学堂を卒業。1912年隴海(ろうかい)鉄路局に入り、42年間にわたり江蘇(こうそ/チヤンスー)省連雲港―甘粛(かんしゅく/カンスー)省蘭州(らんしゅう)間の隴海鉄道建設に心血を注いだ。一方、1917年から数学史を研究したが、銭宝は浙江(せっこう)大学など中国南部で活躍したので、「北李南銭」と称された。李儼は銭宝より1年早く1955年に中国科学院に入り、数学研究所学術委員会委員、自然科学史研究室(現、研究所)主任、哲学社会科学部(現、社会科学院)学部委員を務めた。資料の李儼、方法論の銭宝といわれ、対照的な気性・学風であった。中国だけでなく日本の数学史にも関心を寄せ、小倉金之助、三上義夫(よしお)らとも交流があった。『中算史論叢(ろんそう)』『中国算学史』『中国数学史大綱』『中国古代数学史料』『中国古代数学簡史』(共著)などのほか、鉄道関係の著書もある。[宮島一彦]
『白鳥冨美子「李儼と銭宝」1~3(『数学セミナー』1983年1~3月号所収・日本評論社)』

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世界大百科事典内の李儼の言及

【僖宗】より

…中国,朝第18代皇帝。姓名李儼。在位873‐888年。…

※「李儼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

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