日本大百科全書(ニッポニカ) 「李儼」の意味・わかりやすい解説
李儼
りげん / リーヤン
(1892―1963)
銭宝琮(せんぽうそう)(1892―1974)と並ぶ現代中国の数学史家。福建省閩侯(びんこう)に生まれ、唐山の路礦(ろこう)学堂を卒業。1912年隴海(ろうかい)鉄路局に入り、42年間にわたり江蘇(こうそ)省連雲港―甘粛(かんしゅく)省蘭州(らんしゅう)間の隴海鉄道建設に心血を注いだ。一方、1917年から数学史を研究したが、銭宝琮は浙江(せっこう)大学など中国南部で活躍したので、「北李南銭」と称された。李儼は銭宝琮より1年早く1955年に中国科学院に入り、数学研究所学術委員会委員、自然科学史研究室(現、研究所)主任、哲学社会科学部(現、社会科学院)学部委員を務めた。資料の李儼、方法論の銭宝琮といわれ、対照的な気性・学風であった。中国だけでなく日本の数学史にも関心を寄せ、小倉金之助、三上義夫(よしお)らとも交流があった。『中算史論叢(ろんそう)』『中国算学史』『中国数学史大綱』『中国古代数学史料』『中国古代数学簡史』(共著)などのほか、鉄道関係の著書もある。
[宮島一彦]
『白鳥冨美子「李儼と銭宝琮」1~3(『数学セミナー』1983年1~3月号所収・日本評論社)』