コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

三上義夫 ミカミヨシオ

5件 の用語解説(三上義夫の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

みかみ‐よしお〔‐よしを〕【三上義夫】

[1875~1950]数学史家。広島の生まれ。和算および日本と中国の数学史を研究。著「文化史より見たる日本の数学」「東西数学史」など。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

三上義夫 みかみ-よしお

1875-1950 明治-昭和時代の数学史家。
明治8年2月16日生まれ。第二高等学校を病気中退,数学を独学する。明治41年学士院嘱託となり,和算史を研究。また東京帝大大学院で哲学をまなぶ。著作に大正7年遠藤利貞の遺稿を校訂した「増修日本数学史」,12年「文化史上より見たる日本の数学」などがある。昭和25年12月31日死去。75歳。広島県出身。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

みかみよしお【三上義夫】

1875‐1950(明治8‐昭和25)
日本数学史研究で知られる科学史家。広島に生まれ,千葉県尋常中学校卒業後仙台の第二高等学校へ入学するが,中退。文部省検定により中等学校数学科免許状を取得。1905年に和算史の研究に着手。08年,帝国学士院和算史調査嘱託となる。東京帝国大学文科大学哲学科を修了し,19年まで大学院に籍を置く。1915年ころから日本全国を和算家の遺跡調査のため出かける。23年,藤沢利喜太郎と意見が合わず帝国学士院の嘱託解任。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

みかみよしお【三上義夫】

1875~1950) 数学史家。広島県生まれ。東大卒。関孝和を中心に日本および中国の数学史を研究。著「和漢数学史」

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

三上義夫
みかみよしお
(1875―1950)

科学史家。広島県生まれ。眼疾のため仙台の第二高等学校を退学、独学で中等教員検定に合格、数学科免許を得た。1905年(明治38)ごろから和算史の研究を始め、1908年帝国学士院嘱託。1911年東京帝国大学哲学科選科入学、1919年(大正8)まで大学院に在籍。1949年(昭和24)理学博士。関孝和(たかかず)を中心に日本の数学、日本と中国の数学関係史などを研究、1923年の論文「文化史より見たる日本の数学」は科学史を文化史としてみた世界初の論文であり、科学史研究に大きな影響を与えた。[大矢真一]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の三上義夫の言及

【遠藤利貞】より

…貧困と家庭の不幸の中で和算史の研究に情熱を注いだ。没後,論争の相手であった三上義夫(1875‐1950)により,遠藤の遺稿は《増修日本数学史》(1918)として刊行された。【下平 和夫】。…

【科学史】より

…それは一つには,和算という比較的輪郭も性格も明確な,しかも日本に独自といってよい知識体系が存在していたことにもよる。すでに遠藤利貞の《大日本数学史》などの仕事があったうえに,三上義夫のように当初から海外に発表の舞台を求めた数学史研究(《日本数学史》,D.E.スミスと共著)が花開いており,小倉金之助の一連の仕事も含めて,単に海外の学問の紹介ではなく,すでに,独自の内容をもつ研究が進められていた。また1910年代から科学啓蒙活動や科学論に対する関心が生まれ,啓蒙誌《現代之科学》が刊行(1913)されたり,田辺元の《科学概論》(1918)が現れ,22年のアインシュタインの来日によってこうした傾向は頂点を迎える。…

【和算】より

…和田寧の孫弟子遠藤利貞(1843‐1915)による《大日本数学史》(1896)が和算史の第一歩となった。遠藤の没後これを三上義夫(1875‐1950)が増補訂正して《増修日本数学史》(1918)にまとめた。和算史の研究は,林鶴一(はやしつるいち)(1873‐1935),小倉金之助(1885‐1962),藤原松三郎(1881‐1946),細井淙(1901‐61)その他により続けられている。…

※「三上義夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

三上義夫の関連キーワードタンヌリー藪内清近藤洋逸青木靖三伊東俊太郎小堀憲平田寛(1)広重徹《増修日本数学史》《大日本数学史》

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

三上義夫の関連情報