李弼済(読み)りひつさい(その他表記)(R)I P'il-che

改訂新版 世界大百科事典 「李弼済」の意味・わかりやすい解説

李弼済 (りひつさい)
(R)I P'il-che
生没年:1825-71

朝鮮,李朝末期の農民反乱の指導者。忠清道出身の没落両班(ヤンバン)で,1863年に教祖崔済愚の教えをうけて東学に入信し,崔が刑死したあと忠清道鎮川や慶尚道晋州などで反乱を企てて官憲の追及をうけた。71年3月,教祖の冤罪を晴らすという名目で農民ら数百人を糾合,慶尚道寧海府の役所を襲撃し,軍器を奪って悪徳官吏を処断した。官軍のために撃退されると忠清道聞慶にのがれ,8月にはより大規模な蜂起を敢行したが,捕捉され訊問をうけたあと,同年末にソウルで処刑された。李弼済の乱は,地域分散的な民乱から東学を媒介に組織性を獲得した甲午農民戦争への,過渡的な段階に位置する農民反乱である。
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