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東学 トウガク

6件 の用語解説(東学の意味・用語解説を検索)

デジタル大辞泉の解説

とう‐がく【東学】

朝鮮、李朝末に興った新宗教。1860年ごろ崔済愚(さいせいぐ)が、西学すなわち天主教に対抗するものとして、民間信仰の三教を折衷して創始。教義は単純で符呪(ふじゅ)的であったが、社会不安に動揺する人心に訴えて民衆の間に急速に広まった。甲午(こうご)農民戦争の後、天道教と侍天教に分裂した。

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朝日新聞掲載「キーワード」の解説

東学

1860年に崔済愚(チェジェウ)は胸像=が創始した。韓国の円光大学校で東学を講じる朴孟洙(パクメンス)教授は「身分制度が残る当時の朝鮮で、すべての人は平等で同じように大事なのだと主張し、差別を受けていた農民たちがこれに反応した」と語る。もう一つ、悪政をただすことを柱とし、「斥倭斥洋」をスローガンにした。

(2007-07-31 朝日新聞 朝刊 東特集A)

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百科事典マイペディアの解説

東学【とうがく】

朝鮮,李朝末期の民衆宗教。東学とは西学(キリスト教)に対抗する宗教の意。伝統の民族信仰をもとに儒・仏・道3教などを取り入れて創始。1860年ごろ崔済愚(さいせいぐ)が唱道。

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世界大百科事典 第2版の解説

とうがく【東学】

朝鮮の李朝末期におこった民衆宗教。19世紀中葉の朝鮮では,各地に民乱が激発するなど社会不安が増大し,西欧列強の侵略に対する警戒心もアロー戦争(第2次アヘン戦争)での英仏軍の北京占領によって頂点に達した。慶州出身の崔済愚(さいせいぐ)は1860年,こうした内外の危機をのりこえる〈保国安民〉の策として,民間信仰を基礎に儒教,仏教,仙教を取り入れた独自の宗教,東学を創始した。東学とは西学(キリスト教)に対決する東方すなわち朝鮮の学を意味し,欧米人の侵入に備えて剣舞を奨励するなど民族的な自覚の高まりを背景としていた。

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大辞林 第三版の解説

とうがく【東学】

朝鮮王朝末期、崔済愚さいせいぐが創始した新興宗教団体。西学(キリスト教)に対し、固有の民間信仰をもとに儒仏道三教を折衷したもの。東学党。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

東学
とうがく

朝鮮の新興宗教。19世紀の朝鮮は政治的、社会的不安が高まっていたが、慶州の没落両班(ヤンバン)の崔済愚(さいせいぐ)は1860年に、民間信仰と儒・仏・仙を参酌(さんしゃく)して東学を創始した。信仰の具体的方法は、「至気今至、願為大降」「侍天主造化定、永世不忘万事知」の21文字の呪文(じゅもん)を唱え、「弓弓乙乙」と書かれた「霊符」を灰にして飲み、剣舞をすることなどである。この修行を通して「守心正気」すれば、だれでも現世で「天人一如」の神のようになれる。つまり、神は人間に内在しているが、人間が神に昇華できるかどうかは修行いかんである。修行すればまず「済病長生」が可能であり、次には世直しの「後天開闢(かいびゃく)」が進行して地上天国が実現するが、そこには身分的差異はない。さらには、欧米列強の侵攻を撃退するために、武力の基礎にある精神力の「西学=天主教」に対抗するものとして「東学」が創始され、「輔国(ほこく)安民」の宗教となった。
 こうした反封建、反侵略の色彩の強い東学は、生活に苦しむ農民に急速に広まっていった。朝鮮政府は、東学を邪教として弾圧し、崔済愚を1864年に死刑に処した。第2代教主崔時亨(さいじこう)は禁圧のもとで、教祖の遺文である『東経大全』と『竜潭(りゅうたん)遺文』を刊行するとともに組織を体系化し、布教を着実に広めた。そして東学は、94年の甲午(こうご)農民戦争(東学党の乱)に大きな役割を果たしたが、農民軍の敗北で打撃を受けた。崔時亨は98年に逮捕、処刑された。東学布教は1905年ごろから公然化するが、天道教、侍天教などに分裂した。しかし、天道教が主流となり、第3代教主孫秉煕(そんへいき)は、19年の三・一独立運動の中心人物の一人となった。天道教は今日でも大きな影響力をもっている。[朴 宗 根]
『呉知泳著、梶村秀樹訳・注『東学史』(平凡社・東洋文庫) ▽姜在彦著『近代朝鮮の変革思想』(1973・日本評論社)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の東学の言及

【甲午農民戦争】より

…李朝末期の朝鮮では封建的収奪に反対する民乱が続発し,とりわけ南部地方は開港後の外来資本主義との接触によって矛盾が激化していた。圧政に苦しむ農民の間に広まった東学は,1890年代に入ると活動を公然化するようになった。こうした情勢のもとで,94年2月,全羅道古阜の農民は,規定外の税をとるなど暴政を行った郡守趙秉甲(ちようへいこう)に抗議し,全琫準を指導者として郡庁を襲撃した。…

【崔済愚】より

…朝鮮,李朝末期の宗教,東学の創始者。号は水雲斎。…

※「東学」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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