改訂新版 世界大百科事典 「李恒老」の意味・わかりやすい解説
李恒老 (りこうろう)
(R)I Hang-no
生没年:1792-1868
朝鮮,李朝末期の朱子学者。字は而述,号は華西。京畿道楊根郡の生れ。朱熹(子)と宋時烈に傾倒し,強烈な華夷思想を形成した。明(中華)の滅亡後は,朝鮮が唯一の小中華であるとする立場から,天主教(カトリック)の浸透や欧米の開国要求に対して衛正斥邪(えいせいせきじや)論をとなえ,攘夷論を主張した。彼の主戦論は大院君政権の鎖国攘夷政策をイデオロギー面から支える役割を果たしたため,同副承旨,工曹参判,同義禁などに任じられた。しかし,景福宮の再建,万東廟の廃止などの同政権の国内政策には強く反対した。門下に,梁憲洙,金平黙,柳重教,崔益鉉(さいえきげん),柳麟錫(りゆうりんしやく)などがいる。諡号(しごう)は文敬。著書に《華西集》がある。
執筆者:原田 環
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