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柳麟錫 りゅうりんしゃく

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百科事典マイペディアの解説

柳麟錫【りゅうりんしゃく】

朝鮮,李朝末期の学者。字(あざな)は汝聖,号は毅庵。李恒老の門人で,朱子学を唯一の正学とし攘夷論を主張する衛正斥邪論者として活躍。1896年以降,日本に対する武装闘争〈義兵闘争〉を指揮。

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世界大百科事典 第2版の解説

りゅうりんしゃく【柳麟錫 (R)Yu (R)In‐sŏk】

1842‐1915
朝鮮,李朝末期の学者,義兵将。字は汝聖,号は毅庵。高興の人。李恒老の門人で,1866年丙寅(へいいん)の洋擾(ようじよう)(アメリカ船,フランス艦隊の侵入)に際して斥和上疏運動,76年日朝修好条規締結時の開国反対上疏運動(上疏とは国王への意見書提出)に加わり,衛正斥邪論者としての名を高めた。95年忠清道堤川に移住し,翌年1月門人らが義兵を起こすや大将に推された。柳の義兵部隊は忠州を占領し地方官を殺害するなど勢力を振るったが,日本守備隊,政府軍に敗れ,5月には堤川も失った。

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世界大百科事典内の柳麟錫の言及

【義兵闘争】より

…蜂起は96年1月に中部朝鮮から始まり,3月には全国に拡大した。義兵は地方都市の占領,地方官殺害,日本商人・漁民襲撃,日本軍用電信線切断など勢力を振るい,同年2月に開化派政権が倒れた後も柳麟錫の部隊などは日本軍守備隊,政府軍との交戦を続け,敗退の末に運動が終息したのは10月ころであった。初期義兵は日本の侵略を一時後退させる一要因となった。…

※「柳麟錫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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