改訂新版 世界大百科事典 「柳麟錫」の意味・わかりやすい解説
柳麟錫 (りゅうりんしゃく)
(R)Yu (R)In-sǒk
生没年:1842-1915
朝鮮,李朝末期の学者,義兵将。字は汝聖,号は毅庵。高興の人。李恒老の門人で,1866年丙寅(へいいん)の洋擾(ようじよう)(アメリカ船,フランス艦隊の侵入)に際して斥和上疏運動,76年日朝修好条規締結時の開国反対上疏運動(上疏とは国王への意見書提出)に加わり,衛正斥邪論者としての名を高めた。95年忠清道堤川に移住し,翌年1月門人らが義兵を起こすや大将に推された。柳の義兵部隊は忠州を占領し地方官を殺害するなど勢力を振るったが,日本守備隊,政府軍に敗れ,5月には堤川も失った。その後,中国東北地方へ逃れ,1900年帰国した。04年以降,日本の支配に抵抗する動きを示し,08年には沿海州へ根拠地を移して義兵闘争を展開した。のち中国へ移り,15年奉天省興京県で客死した。著書に詩文集《毅庵集》がある。
執筆者:糟谷 憲一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報