村上義一(読み)ムラカミ ギイチ

20世紀日本人名事典 「村上義一」の解説

村上 義一
ムラカミ ギイチ

大正・昭和期の運輸官僚,実業家,政治家 運輸相;参院議員(同志会);貴院議員(勅選);日本通運社長;日本交通公社会長。



生年
明治18(1885)年11月10日

没年
昭和49(1974)年1月20日

出生地
滋賀県

学歴〔年〕
東京帝大法科大学独法科〔明治45年〕卒

経歴
大正元年鉄道院に入り、昭和2年鉄道省神戸鉄道局長、3年大阪鉄道局長を経て、5年より満鉄理事。実業界に入り、12年朝鮮運送、15年日本通運各社長に就任。21年勅選貴院議員となり、同年幣原喜重郎内閣の運輸相。22年より参院議員当選3回、同志会に属し、参院議運委員長を務めた。24年再び第3次吉田茂内閣の運輸相となる。また日本交通公社会長、近畿日本鉄道社長、経団連顧問もつとめた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「村上義一」の解説

村上 義一
ムラカミ ギイチ


肩書
運輸相,参院議員(同志会),貴院議員(勅選),日本通運社長,日本交通公社会長

生年月日
明治18年11月10日

出生地
滋賀県

学歴
東京帝大法科大学独法科〔明治45年〕卒

経歴
大正元年鉄道院に入り、昭和2年鉄道省神戸鉄道局長、3年大阪鉄道局長を経て、5年より満鉄理事。実業界に入り、12年朝鮮運送、15年日本通運各社長に就任。21年勅選貴院議員となり、同年幣原喜重郎内閣の運輸相。22年より参院議員当選3回、同志会に属し、参院議運委員長をつとめた。24年再び第3次吉田茂内閣の運輸相となる。また日本交通公社会長、近畿日本鉄道社長、経団連顧問もつとめた。

没年月日
昭和49年1月20日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「村上義一」の解説

村上義一 むらかみ-ぎいち

1885-1974 大正-昭和時代の官僚,政治家。
明治18年11月10日生まれ。鉄道省大阪鉄道局長をへて昭和5年満鉄理事,15年日本通運社長。21年貴族院議員,22年参議院議員(当選3回,緑風会)。幣原(しではら)内閣,第3次吉田内閣で運輸相をつとめた。近畿日本鉄道社長,日本私鉄経営者協会会長。昭和49年1月20日死去。88歳。滋賀県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「村上義一」の解説

村上 義一 (むらかみ ぎいち)

生年月日:1885年11月10日
大正時代;昭和時代の官僚;政治家。運輸相;参院議員;貴院議員;日本通運社長;日本交通公社会長
1974年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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