緑風会(読み)リョクフウカイ

デジタル大辞泉 「緑風会」の意味・読み・例文・類語

りょくふう‐かい〔‐クワイ〕【緑風会】

昭和22年(1947)参議院保守系無所属議員により結成された院内交渉団体。参議院の使命を重んじ、政党の力によらない議会運営を目標とした。同40年解散。

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精選版 日本国語大辞典 「緑風会」の意味・読み・例文・類語

りょくふう‐かい ‥クヮイ【緑風会】

昭和二二年(一九四七山本有三ら保守系の参議院無所属議員が組織した院内交渉団体。参議院の使命を重んじ、政党の力によらない議会運営を目標とし、第一国会では最大勢力だったが、選挙のたびに減少し、同四〇年消滅した。

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改訂新版 世界大百科事典 「緑風会」の意味・わかりやすい解説

緑風会 (りょくふうかい)

参議院の会派。1947年5月17日第1回参議院選挙で当選した山本有三(勇造),佐藤尚武,河井弥八,下条康麿らが,二院制を生かし,良識的な議会活動を目ざして無所属議員を結集した(国民協同党員なども入会)。山本,田中耕太郎ら文化人議員の存在が特色とされたが,主流は旧貴族院議員など官僚出身者で,第1特別国会召集日の所属議員92名(最高96名)で第一党となった。56年4月までに松平恒雄,佐藤,河井の3議長を輩出,第2,3,4次吉田茂内閣に下条,高瀬荘太郎,村上義一,田村文吉らを閣僚に送り,準与党的立場をとったが,指揮権発動反対など是々非々主義をとり,第2回選挙後第三党となってからは参議院のキャスティングボートをにぎる。年齢を満年齢で数える法律,文化財保護法などを議員提出し,またサンフランシスコ講和会議に議員総会議長徳川宗敬を全権に送った。53年,他党派との二重加盟を禁止し,翌年入閣者の脱会を義務づけ,また保守党への入党者が続き,選挙ごとに会勢が減退し,56年7月選挙で自民党が過半数を占めたためキャスティングボートを失った。59年6月選挙後11名に転落,翌年1月参議院同志会と改称。62年7月選挙後7名となり,無所属クラブとともに第二院クラブを構成,翌年3月,3議員の自民党入党を機にいったん緑風会に復名したが,最後の4議員(奥むめお,佐藤,高瀬,村上)の任期満了(1965年6月1日)とともに消滅した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「緑風会」の意味・わかりやすい解説

緑風会
りょくふうかい

参議院の院内会派。1947年(昭和22)5月17日、山本有三、下条康麿(やすまろ)らが中心となり第1回参議院選挙に当選した保守系無所属議員で結成。第一国会召集時に93名を擁し、参議院の最大会派であった。初代の参議院議長松平恒雄も緑風会所属である。参議院の使命としてその政党化に反対し、綱領に「愛と正義にもとづく政治」「自由と秩序の調和による共同福祉」などを掲げ、新憲法の精神にのっとった良識ある行動を目ざした。また山本や田中耕太郎、佐々弘雄など多くの文化人を擁し、参議院に職能代表的性格をもたせようとした。しかし政策面では自由党に同調し、歴代の内閣にも準与党的態度をとったためしだいに独自性が失われ、所属議員の脱会も相次ぎ、1959年6月の選挙では11名に激減した。1960年1月に参議院同志会と改称し、1962年7月の選挙で7名に減ったため市川房枝(ふさえ)らの無所属クラブと第二院クラブを結成したが、1965年6月2日解散した。

[吉田健二]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「緑風会」の意味・わかりやすい解説

緑風会
りょくふうかい

参議院の初期において,いずれの政党にも属さない議員の院内交渉団体として結成された政治団体。当時の参議院 (第1回選挙は 1947年) は衆議院と異なり,非政党的立場に立つことによって「批判の府」「良識の府」としての役割を果すべきであるとする考え方が有力で,重宗雄三らの旧貴族院議員や山本有三らの文化人など,いわゆる「無所属」の当選者が多く,これらが集って緑風会を結成,院内第1の会派となった。したがって,議長も同会の松平恒雄が選ばれ,参議院の良識を代表するものとみられた。しかし政党化が次第に進むと,所属政党のない同会議員には選挙が不利となり,当選者数も漸減した。この傾向によって緑風会独自の行動もとりにくくなり,入閣する者も出てきて,かえって緑風会の存在理由を失わせることともなった。この結果,1965年6月の第7回参議院選挙では,わずかに残っていた数名の同会所属議員も立候補を断念,「良識」を期待された緑風会も消滅した。

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百科事典マイペディア 「緑風会」の意味・わかりやすい解説

緑風会【りょくふうかい】

1947年山本有三らが中心となって結成した,参議院無所属議員による院内交渉団体。多くが保守系議員であったが,政党に規制されない議院運営をめざした。1965年消滅。
→関連項目後藤文夫二院クラブ

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「緑風会」の解説

緑風会
りょくふうかい

1947年(昭和22)4月の第1回参議院選挙で当選した無所属議員により結成された参議院会派。初夏の緑風のなかで開会した新憲法下の国会に新風を送ることを念じて命名。当初は山本有三・松平恒雄らの文化人・旧官僚を中心とする92人が所属,参議院の最大勢力であった。文化財保護法など独自の法案提出も行ったが,議員数はしだいに減少し,59年選挙では当選者11人になった。翌年3月に参議院同志会と改称,62年には第二院クラブとして院内交渉団体を結成。65年6月に4人の現職議員の任期満了とともに消滅。

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世界大百科事典(旧版)内の緑風会の言及

【国会】より

…国会に関する改憲構想のきわだった例は,国会万能を印象づける〈最高機関〉たる定め(41条)をやめること,参議院に非公選議員を加えること,国会に対する内閣の権限強化等をうたった〈憲法調査会報告書〉(1964)の有力見解にみられた。 1955年ごろから参議院の政党化が進み,有力会派であった緑風会が落したが(1965解散),71年7月参議院選挙の結果,野党の推す河野議長が誕生し,また,いわゆる〈保革伯仲〉は衆議院にも波及した。しかし,中道政党の政府協力と議長の柔軟な議事運営により,政府与党(自民党)は国会対策に妥協を強いられはしたが,国会運営に挫折をきたすことはなかった。…

※「緑風会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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