朝日日本歴史人物事典 「村垣定行」の解説
村垣定行
生年:宝暦12(1762)
江戸後期の松前奉行,勘定奉行。軌之。御庭番の家に生まれる。寛政期(1789~1801)に御庭番として全国各地に派遣。文化1(1804)年1月勘定吟味役に抜擢され,以後主に勘定所で政策遂行の実務に当たる。同2年8月から1年間をかけて蝦夷地を視察。同4年10月には西蝦夷地上知に伴い,松前奉行に就任し蝦夷地経営の実務に当たった。文政1(1818)年9月には勝手方勘定奉行となり,老中水野忠成の勝手掛就任に伴う幕府財政転換の実務を担った。御庭番から勘定奉行にまで昇進したように,非常な能吏であった。<参考文献>深井雅海「徳川幕府御庭番の基礎的研究」(『徳川将軍政治権力の研究』)
(安藤優一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報