幕末期の旗本。外国奉行(ぶぎょう)を勤めるなど外交面で活躍した。『村垣淡路守(あわじのかみ)範正公務日記』などを残している。1831年(天保2)新規召し出されて小十人格(こじゅうにんかく)庭番となり、諸職(しょしき)を経て54年(安政1)勘定吟味役(かんじょうぎんみやく)に進み、海岸防御のことなどにも関係し、同年10月には川路聖謨(かわじとしあきら)らとともに、下田(しもだ)に来航したロシア使節の応接係を命ぜられた。56年箱館(はこだて)奉行に進み、従(じゅ)五位下、淡路守に叙任された。在任中は蝦夷地(えぞち)の開拓に尽力した。58年外国奉行を兼ね、翌59年神奈川奉行も兼帯した。同年9月日米通商条約批准交換の副使を命ぜられ、60年(万延1)正月、正使新見正興(しんみまさおき)らとともにアメリカに赴き、その功で300石の加増を受けた(計500石)。『遣欧(けんおう)使節日記』がある。同年末プロシアとの通商条約交渉の全権に任ぜられるなどあったが、以後外交面から離れ、作事(さくじ)奉行、西の丸留守居(るすい)などを勤め、68年(明治1)病のため隠居した。
[林 亮勝]
(岩壁義光)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
幕末期の幕臣。淡路守を称する。1854年(安政1)勘定吟味役となり,直ちに海防掛と蝦夷地御用取扱を命ぜられ,同年のロシア使節プチャーチンの下田来航にさいして応接した。56-62年(安政3-文久2)箱館奉行,58-63年外国奉行を務め,59年には勘定奉行と神奈川奉行を兼帯した。60年(万延1)日米修好通商条約本書の批准交換のため遣米使節の副使として渡米。この間,詳細な航海日誌を記した。
執筆者:小野 正雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…幕府は5月外国奉行小栗忠順(ただまさ)を派遣したが効果なく,6月藩は幕府に移封願を提出した。その間幕府は箱館奉行村垣範正を通じロシア領事ゴシケビチに退去交渉を行い,8月ビリリョフらは芋崎を退いた。一方,イギリスは前年対馬全島の測量をし,この事件に際しても公使オールコックが幕府に協力を申し出,7月には軍艦2隻を派遣してビリリョフに抗議するなど強く干渉した。…
※「村垣範正」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加
9/20 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新