遠山景晋(読み)とおやま・かげみち

朝日日本歴史人物事典 「遠山景晋」の解説

遠山景晋

没年:天保8.7.22(1837.8.22)
生年明和1(1764)
江戸後期幕臣幕府への届けでは宝暦2(1752)年生まれ。永井筑前守直令の4男で遠山景好の養子。500石の旗本通称金四郎,左衛門,左衛門尉。小姓,西ノ丸小姓,徒頭を経て享和2(1802)年目付となる。文化1(1804)年ロシアのレザーノフ応接のため長崎に派遣され,同4年には若年寄堀田正敦に同行して蝦夷地へ派遣された。途中奥州各藩を巡見し海防指導を行った。翌5年には対馬派遣となり諸大夫に任じられた。同9年長崎奉行となり,諸役所の経費節減などを行った。同13年作事奉行,文政2(1819)年勘定奉行に転じた。「人形の様成人」と噂されたが,老中水野忠成に信任され,江戸湾海防の仕法などを行った。同12年隠居して楽土と称した。

(針谷武志)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「遠山景晋」の解説

遠山景晋 とおやま-かげみち

1752-1837 江戸時代中期-後期の武士
宝暦2年生まれ。幕臣。享和2年目付。文化元年長崎でロシア使節レザノフと交渉し,2年村垣定行とともに西蝦夷(えぞ)地を視察。9年長崎奉行,のち作事奉行,勘定奉行を歴任。天保(てんぽう)8年7月22日死去。86歳。本姓は永井。通称は金四郎。号は楽土。名は「かげくに」ともよむ。著作に「遠山村垣西蝦夷日記」など。

遠山景晋 とおやま-かげくに

とおやま-かげみち

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「遠山景晋」の意味・わかりやすい解説

遠山景晋
とおやまかげくに

[生]明和1(1764).江戸
[没]天保8(1837)
江戸時代中期の幕臣。左衛門尉。長崎奉行,作事奉行,勘定奉行を歴任。これより先,幕命により蝦夷地でロシア人との交渉にあたった。そのときの記録に村垣淡路守 (→村垣範正 ) とともに『西蝦夷日記』を作成した。

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