朝日日本歴史人物事典 「遠山景晋」の解説
遠山景晋
生年:明和1(1764)
江戸後期の幕臣。幕府への届けでは宝暦2(1752)年生まれ。永井筑前守直令の4男で遠山景好の養子。500石の旗本。通称金四郎,左衛門,左衛門尉。小姓,西ノ丸小姓,徒頭を経て享和2(1802)年目付となる。文化1(1804)年ロシアのレザーノフの応接のため長崎に派遣され,同4年には若年寄堀田正敦に同行して蝦夷地へ派遣された。途中奥州各藩を巡見し海防指導を行った。翌5年には対馬派遣となり諸大夫に任じられた。同9年長崎奉行となり,諸役所の経費節減などを行った。同13年作事奉行,文政2(1819)年勘定奉行に転じた。「人形の様成人」と噂されたが,老中水野忠成に信任され,江戸湾海防の仕法などを行った。同12年隠居して楽土と称した。
(針谷武志)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報