村岡郷(読み)むらおかごう

日本歴史地名大系 「村岡郷」の解説

村岡郷
むらおかごう

現大東町南東部の大坂おおさか浜野はまのを含む一帯に比定される中世の郷。暦応二年(一三三九)二月二七日、高行(姓不詳)笠原かさはら庄村岡郷内の田一町(収納使田、字町坪)を同庄一宮(現浜岡町高松神社)寄進している(中山文書)。現もり蔵泉ぞうせん寺所蔵の大般若経巻一七五は、至徳二年(一三八五)一〇月二四日、村岡郷のうち西方興恩寺で書写され、すでに西方・東方に分れている。同経巻一七一・巻一七二・巻一八〇も同寺で同年四月・六月に書写され、また同寺で書写された巻一七四の筆者は浜名はまな庄住の阿遠である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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