日本歴史地名大系 「来振村」の解説 来振村きぶりむら 岐阜県:揖斐郡大野町来振村[現在地名]大野町稲富(いなとみ)更地(さらじ)村の北、根尾(ねお)川右岸に立地する。木振とも書く。大永五年(一五二五)一〇月日の鷲尾家美濃所領目録(勧修寺文書)に、京都祇園社領の上秋(かんだけ)庄の四至として「北限 来振山峰并来振小山峰」とみえる。慶長郷帳には村名が記されないが、長瀬(ながせ)村(現谷汲村)の内に含まれていたと考えられる。正保郷帳には木振村とみえ(岩瀬文庫本正保郷帳では来振村)、大垣藩領で田三〇石余・畑三二石余、うち三石余は来振寺領。元禄郷帳でも同藩領。明治五年(一八七二)の村明細帳によれば家数三六・人数一四七、馬一四。石灰竈一口の運上は永二貫文。寺社は来振寺、来振神社・愛宕社など。石灰は石(いし)山から産したが、寛政一一年(一七九九)の届書(県立歴史資料館蔵)では石灰竈四ヵ所となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by