稲富村(読み)いなどめむら

日本歴史地名大系 「稲富村」の解説

稲富村
いなどめむら

[現在地名]御津町岩見いわみ

かた村の北、てら山南麓に位置する。稲留とも書いた。慶長国絵図に村名がみえる。寛永一三年(一六三六)の龍野領村々高辻帳(八瀬家文書)では池田輝政による内検地高二六四石余、高二一八石余。正保郷帳では田方一九九石余・畑方一九石余。天保郷帳では高二七八石余。「西讃府志」によると高二五三石余、反別は一四町九反余、うち畑方二町余・屋敷六反余、年貢米一二三石余、家数四二・人数一七一、牛一一。明治一〇年(一八七七)片村・伊津いつ村と合併して岩見村となる。産土神は熊野三社大権現(現熊野神社)。もとは当村と片村の産土神であったが、のち片村は分離した。真言宗御室派円融えんゆう寺がある。


稲富村
いなどみむら

[現在地名]八女市稲富

福島ふくしま町の西、矢部やべ川とその支流が形成した扇状地にある。北の岩崎いわさき村を経て久留米城下に通じる道、福島町と三潴みづま郡方面を結ぶ道(豊後別路)がある。文禄四年(一五九五)一二月の上妻郡内知行方目録写(筑紫家文書)に「稲とみ村」とみえ、高五五五石余。本高は三六五石余(元禄国絵図)。元禄一六年(一七〇三)の竈数六八、男一八〇・女一三一、作馬二八(「知行所品々書帳」有馬泰生家文書)。「在方諸覚書」では古高七七〇石・役高六九三石。享和二年(一八〇二)の春免高帳では高六九四石、文化四年(一八〇七)の畝付帳では本田三一町四反余・開田一反余・畑田四町二反余・畑六町七反余・居屋敷五反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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