日本歴史地名大系 「東万倉村」の解説 東万倉村ひがしまぐらむら 山口県:厚狭郡楠町東万倉村[現在地名]楠町大字東万倉山陽道に沿って開けた舟木市(ふなきいち)の北東方向に位置する。北東は矢矯(やはぎ)、南東は吉見(よしみ)(現宇部市)、西は舟木(ふなき)、北西は西万倉(にしまぐら)の各村に接する。村の西部を有帆(ありほ)川が南流し、並行して舟木市より秋吉(あきよし)村(現美祢郡秋芳町)を経て萩に至る往還が通る。萩藩領で舟木宰判に属する。応永二八年(一四二一)三月三日付の宮尾(みやお)八幡宮鐘銘に「万倉郷」とみえる。近世後半までは万倉村(慶長五年の検地帳は「万倉郷」)の一部である。「注進案」によれば東万倉・芦河内(あしがわち)・矢矯の三ヵ村で一括記載され、総田畠数一四九町余、総石高一千九二九石余、家数一四二、人数五七〇で在村武士五軒となっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報