日本歴史地名大系 「東之丸」の解説 東之丸ひがしのまる 三重県:亀山市亀山城下東之丸[現在地名]亀山市東丸(ひがしまる)町亀山城丸之内(まるのうち)の東側部分に位置し、二之丸(にのまる)から太鼓門を経て大手口に至る東三之丸(ひがしさんのまる)を中心とした区域。「九九五集」所載の城下絵図によれば、太鼓門外の大手門内側には蔵・作事小屋と家中屋敷地四ヵ所がみえるのみで、城郭としての三ノ丸は元禄期(一六八八―一七〇四)には存続していなかったと思われる。東海道とは大手口で接し、ここに設けられた高札場は、幕令および藩の諸令を掲げるとともに、領内諸村への里程町数を測る基点となっていた。屋敷地はいずれも藩の重臣の居宅で、石川氏の慶安四年(一六五一)には加藤斎院・石川左兵衛・市川数馬・前島孫左衛門が(亀山地方郷土史)、板倉氏の延享元年(一七四四)には年寄大石忠左衛門・井上権兵衛・尾崎又兵衛と近習頭桑野仲兵衛の四人(鈴鹿郡野史)が住んでいた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報