改訂新版 世界大百科事典 「東京市電値上反対事件」の意味・わかりやすい解説
東京市電値上反対事件 (とうきょうしでんねあげはんたいじけん)
1906年3月1日,東京市内の東京市街鉄道,東京電車鉄道,東京電気鉄道の3会社が各3銭均一の電車賃を3社共通5銭均一に値上げする申請を府知事と警視総監に提出した。結党直後の日本社会党は党勢拡張もかねて国家社会党とともに反対運動に取り組み,演説会・市民大会の開催,ちらし配布等を行った。田川大吉郎らの自由主義者や一般市民も加わり運動は盛り上がった。3月15日デモは暴動化し,西川光二郎ら日本社会党員10名が兇徒聚衆罪で検挙され(1908年有罪確定),一方,内務大臣も申請を却下し運動は一時鎮静した。6月,3会社は合併(東京鉄道株式会社)し再申請したため,日本社会党は一時脱会していた国家社会党も含めて反対運動を再開したが,前回規模には達せず,8月均一4銭の運賃値上げが認められた。これらと並行して反政友会系の市会議員等の反対運動も展開した。しかし運動は分裂し,9月12日の値上げ実施のときには鎮静していた。
執筆者:橋本 哲哉
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報