田川大吉郎(読み)タガワ ダイキチロウ

20世紀日本人名事典 「田川大吉郎」の解説

田川 大吉郎
タガワ ダイキチロウ

明治〜昭和期の政治家,ジャーナリスト 衆院議員(社会党)。



生年
明治2年10月26日(1869年)

没年
昭和22(1947)年10月9日

出生地
長崎県東彼杵郡西大村(現・大村市)

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)〔明治23年〕卒

経歴
報知新聞都新聞主筆多年にわたってつとめ、その間日清、日露の両戦争に陸軍通訳として従軍した。明治41年尾崎行雄知遇を受けて東京市助役となり、同年衆院議員に初当選、以来9回当選。又新会、中正会、憲政会革新倶楽部などに所属し、普選運動で活躍した。その間、基督教教育同盟理事、明治学院総理などを歴任戦後日本社会党に属し、世界平和協会理事長、民主外交協会副会長などをつとめ、昭和22年の東京都知事選に立候補した。著書に「都市政策汎論」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「田川大吉郎」の解説

田川 大吉郎
タガワ ダイキチロウ


肩書
衆院議員(社会党)

生年月日
明治2年10月26日

出生地
長崎県東彼杵郡西大村(現・大村市)

学歴
東京専門学校(現・早稲田大学)〔明治23年〕卒

経歴
報知新聞、都新聞の主筆を多年にわたってつとめ、その間日清、日露の両戦争に陸軍通訳として従軍した。明治41年尾崎行雄の知遇を受けて東京市助役となり、同年衆院議員に初当選、以来9回当選。又新会、中正会、憲政会、革新倶楽部などに所属し、普選運動で活躍した。その間、基督教教育同盟理事、明治学院総理などを歴任。戦後は日本社会党に属し、世界平和協会理事長、民主外交協会副会長などをつとめ、昭和22年の東京都知事選に立候補した。著書に「都市政策汎論」がある。

没年月日
昭和22年10月9日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「田川大吉郎」の意味・わかりやすい解説

田川大吉郎 (たがわだいきちろう)
生没年:1869-1947(明治2-昭和22)

ジャーナリスト,政治家。東京府出身。1890年東京専門学校(現,早稲田大学)卒業後,《報知新聞》記者となり足尾鉱毒事件など社会問題に発言する。また90年には小崎弘道より洗礼を受け,のち植村正久に傾倒する。1908年以来衆議院議員に9回当選し,明治末期以来勃興した都市中間層主導のデモクラシー運動に参加,また尾崎行雄の知遇を得て東京市助役,司法省参事官にもなる。自由主義ジャーナリストとして婦人論,都市論,軍縮論など多方面で論陣をはり,キリスト教界の重鎮としても活躍した。太平洋戦争中は上海に亡命し,戦後,社会党に推されて東京都知事選に出馬して落選後死亡した。著書に《都市政策汎論》(1925),《政党及政党史》(1929)など。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「田川大吉郎」の意味・わかりやすい解説

田川大吉郎
たがわだいきちろう

[生]明治2(1869).長崎,大村
[没]1947
政治家。東京専門学校卒業後『報知新聞』『都新聞』の主筆として活動。のち政界に入り,尾崎行雄東京市長の助役をつとめ,衆議院議員となった。 1890年キリスト教に帰依し,牧師植村正久の一番町教会,富士見町教会を根城に全国的に伝道活動して植村を助けた。 1925年明治学院総理に就任。『文明評論』で筆禍事件を引起し,6ヵ月の禁錮処分を受けた。第2次世界大戦後東京都知事選で安井誠一郎に敗れたが,筋を通す政治家であった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「田川大吉郎」の解説

田川大吉郎 たがわ-だいきちろう

1869-1947 明治-昭和時代のジャーナリスト,政治家。
明治2年10月26日生まれ。「報知新聞」「都新聞」記者となる。明治41年衆議院議員(当選9回)。国民党,憲政会などをへて,戦後社会党に所属。キリスト教徒で明治学院総理などもつとめた。昭和22年10月9日死去。79歳。肥前大村(長崎県)出身。東京専門学校(現早大)卒。著作に「政党及政党史」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「田川大吉郎」の解説

田川 大吉郎 (たがわ だいきちろう)

生年月日:1869年10月26日
明治時代-昭和時代の政治家;ジャーナリスト。衆議院議員
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の田川大吉郎の言及

【台湾日日新報】より

…日本の台湾領有時代に発行された代表的な植民地新聞で,本社は台北に置かれた。台湾における日本語新聞は,1896年(明治29)《台湾新聞》《台湾日報》の2紙が創刊され,前者には田川大吉郎,後者には内藤湖南がよって日本の台湾統治方針について大論戦を行うなどしていたが,98年に合併,《台湾日日新報》(社長守屋善兵衛)として新発足した。同地には台中市に本拠を置く《台湾新聞》(1901年《台中毎日新聞》として創刊,07年改題),《台湾日報》(1899年《台南新報》として創刊,1937年改題)などがあったが,《台湾日日新報》は《台湾総督府府報》,台北州庁の《台北州報》,市役所の《台北市報》を付録として配布,植民地機構の準広報紙として勢威をふるった。…

【東京市電値上反対事件】より

…結党直後の日本社会党は党勢拡張もかねて国家社会党とともに反対運動に取り組み,演説会・市民大会の開催,ちらし配布等を行った。田川大吉郎らの自由主義者や一般市民も加わり運動は盛り上がった。3月15日デモは暴動化し,西川光二郎ら日本社会党員10名が兇徒聚衆罪で検挙され(1908年有罪確定),一方,内務大臣も申請を却下し運動は一時鎮静した。…

※「田川大吉郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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