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日本社会党 にほんしゃかいとう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日本社会党
にほんしゃかいとう

日本の政党。1945年11月2日,第2次世界大戦前の無産政党各派を糾合して結成された。1947年の衆議院議員総選挙で第1党となり,民主党国民協同党と連立して片山哲内閣を組織し,続く民主党主導の芦田均内閣にも協力,党員を入閣させた。

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日本社会党
にほんしゃかいとう

日本の政党。 1906年2月片山潜,堺利彦,西川光二郎らによって結成された最初の合法的無産政党。『平民新聞』を発行し,東京市電争議足尾銅山争議などに積極的な役割を果したが,07年2月政府に結社を禁止されて解散した。

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デジタル大辞泉の解説

にっぽん‐しゃかいとう〔‐シヤクワイタウ〕【日本社会党】

明治39年(1906)幸徳秋水らを中心として結成された日本最初の合法的社会主義政党。翌年、治安警察法の適用によって解散。
昭和20年(1945)第二次大戦前の無産政党各派が合同して結成した社会主義政党。同22年初代委員長片山哲を首班として、民主党国民協同党との三党連立内閣を組織したが、翌年総辞職。以後、党内左右の対立が激化し、同26年分裂。同30年左派の主導のもとに再統一したが、同35年には右派が脱党して民主社会党を結成した。平成8年(1996)社会民主党に改称。

にほん‐しゃかいとう〔‐シヤクワイタウ〕【日本社会党】

にっぽんしゃかいとう

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百科事典マイペディアの解説

日本社会党【にほんしゃかいとう】

(1)最初の合法的社会主義政党。1906年1月14日に西川光二郎らが日本平民党を,同28日に堺利彦らが日本社会党を届け出,それぞれ許可され,両党は合同して2月24日に日本社会党第1回大会を開いた。
→関連項目浅沼稲次郎芦田均内閣飛鳥田一雄太田薫海部俊樹内閣風見章加藤勘十加藤シヅエ神近市子河上丈太郎55年体制向坂逸郎佐々木更三社会主義インターナショナル鈴木善幸鈴木文治鈴木茂三郎日本橋本龍太郎橋本龍太郎内閣羽田孜松岡駒吉宮沢喜一内閣村山富市内閣森近運平山口孤剣横路孝弘労農党

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世界大百科事典 第2版の解説

にほんしゃかいとう【日本社会党】

日本の社会主義政党。明治期のものと戦後から現在までのものの二つがある。(1)1906年(明治39)1月14日西川光二郎らが普通選挙の期成を目的に掲げて結党した日本平民党と同28日に堺利彦らが結党届を出して許された日本社会党が,2月24日合同大会を開いて正式に発足した政党。同党は規約第1条で〈本党は国法の範囲内に於て社会主義を主張す〉とうたい,1901年の社会民主党平民社議会主義的立場を継承し,結党以前から刊行されていた《光》が機関紙となった。

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大辞林 第三版の解説

にほんしゃかいとう【日本社会党】

〔正しくは、「にっぽんしゃかいとう」〕
1906年(明治39)、堺利彦・幸徳秋水らが結成した、日本最初の合法的社会主義政党。翌年解散。
1945年(昭和20)、戦前の無産政党各派が合同して結成した社会主義政党。47年の総選挙で第一党となり、片山内閣を組織したが、翌年総辞職。以後、左右の対立が激化し、51年分裂。55年左派の主導の下に再統一したが、60年には右派が分裂して民主社会党を結成した。94年(平成6)委員長村山富市を首相とする村山内閣が成立。96年(平成8)社会民主党と改称。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

日本社会党
にほんしゃかいとう

1945年(昭和20)11月2日に、共産党を除く戦前の無産政党関係者で結成した、日本の代表的な社会民主主義政党で、1996年(平成8)1月19日に党名を社会民主党に変更するまで存続した。社会党の歴史は五つの時期にくぎることができる。[田口富久治]

第一期

第一期は結党以来1951年の左右両社会党への分裂までである。反共右派主導で発足した社会党は、その新憲法構想も「国家主権論」で天皇制の修正存続を考えていたし、1946年初頭の民主人民戦線運動にも反共主義の立場から参加しなかった。1947年の二・一ストをピークとする労働運動の高揚を背景として行われた4月総選挙では143人の当選者を得て第一党となり、片山哲(てつ)を首班とする社会・民主・国民協同の3党連立内閣を組織した。片山内閣は新憲法に基づく国家公務員法、新警察法の制定、民法改正などを実現したが、その政策的表看板であった炭鉱国家管理法は骨抜きにされたばかりか、経済再建のため労働賃金を抑制するなどの政策をとらざるをえなかったため、鈴木茂三郎(もさぶろう)ら党内左派の「造反」にあい、1948年2月総辞職した。続く芦田均(あしだひとし)(民主党)内閣にも西尾末広(すえひろ)ら8名が入閣したが、同内閣も政令二〇一号で国家公務員の団体交渉権・争議権を剥奪(はくだつ)して労働者の不満を買い、昭電疑獄事件で1948年10月総辞職した。その後1949年1月の総選挙で社会党は48議席にまで転落し、同年4月の再建大会では党の路線と性格とをめぐって、改良的漸進と国民大衆の党を唱える右派と、社会主義革命と階級政党を主張する左派との間にいわゆる森戸(辰男(たつお))・稲村(順三)論争が行われた。左右の対立は1950年1月の第5回大会では人事と青年部問題をめぐって紛糾し一時党分裂を招いたが、1951年1月の第7回大会では講和と平和問題をめぐってふたたび激化し、左派優位のうちに全面講和・中立・基地反対・再軍備反対の平和四原則が採択され、空席の委員長に左派の鈴木茂三郎が選出された。しかし講和会議直後の10月、臨時大会で、左派の講和・安保両条約反対論と右派の講和賛成論が激突し、左右両社会党に分裂した。[田口富久治]

第二期

第二期は1950年代から1960年代前半までであるが、三つの小段階に区別されよう。
(1)社会党分裂から1955年10月の再統一に至るまでの時期で、この間に伸長しつつあった日本労働組合総評議会(総評)と結び付き(「左社・総評ブロック」)、平和・反戦の路線を明確にした左社が議席数でも右社を追い抜き、勢力的には左派優位のもとで、ただし綱領(平和革命による社会主義への移行と階級的大衆政党をうたった)と人事では右派と妥協して(委員長鈴木茂三郎、書記長浅沼稲次郎)再統一がなった。
(2)再統一後の社会党は、鳩山(はとやま)一郎内閣の改憲・再軍備、続く岸信介(のぶすけ)内閣の日米安保条約改定に対して、護憲・平和、安保反対の旗を掲げて正面から対決し、とくに60年安保闘争においては安保改定阻止国民会議の中心勢力として活動した。この間、西尾末広らの脱党と民主社会党(後の民社党)の結成(1960年1月)、また安保闘争の終結後、当時の浅沼委員長の右翼青年による刺殺事件が起こった。
(3)浅沼の死後、党の最高指導者となった江田三郎書記長は、1960年11月の臨時党大会で、経済構造の改良によって社会主義に至るという構造改革路線を提唱したが、社会主義協会を中心とする左派はこれを改良主義として鋭く攻撃し、江田を追い落とし(1962年12月第22回大会。後任書記長成田知巳(ともみ))、1964年12月の第24回大会では、労働者階級を中核とする「反独占国民戦線」の形成によって社会主義への道を切り開く過渡的政権構想を示した新しい綱領的文書「日本における社会主義への道」を採択した(1966年党大会で補強・完結)。[田口富久治]

第三期

第三期は1960年代後半から1970年代末までである。1960年代後半から1970年代前半にかけてのほぼ10年は、経済の高度成長のもたらした矛盾がとくに大都市部において顕在化したのを背景として、東京をはじめ全国の主要な自治体で革新首長(当時の住民運動の高揚を背景に、社会党・共産党系の公認・推薦・支持で当選した都道府県知事や市町村長)が輩出した時期である。社会党は共産党との連携による社共共闘を軸にその実現に大きな役割を果たし、1974年1月の第37回大会では、護憲・民主・中立の国民戦線を基礎にした国民統一政府の構想を発表した。しかし低成長経済に移行した1970年代後半には、保守側の反撃、社共間の軋轢(あつれき)の増大などによって、主要な革新自治体は次々と崩壊していった。また、労組(総評)依存、議員党的組織体質を脱却できなかった社会党は、1960年代後半以降の野党の多党化、とくに都市部における公明、共産両党による挟撃や、党の主要な組織基盤である総評の地盤沈下、1977年の江田副委員長の離党、1978年3月の社会民主連合の結成などによって、1969年12月総選挙の敗北以降、長期低落傾向を示し、相対得票率で20%を割り続けた。この間、委員長は、佐々木更三(こうぞう)(1965年5月)、勝間田清一(かつまたせいいち)(1967年8月)、成田知巳(1968年10月)、飛鳥田一雄(あすかたいちお)(1977年12月)と交替したが、党勢の回復はならなかった。[田口富久治]

第四期

第四期は1980年から1993年7月の総選挙までである。もともと1970年以降の党の基本方針である全野党共闘路線は一方での社共共闘、他方での社公民路線という矛盾をはらんでいたが、1980年1月、当時の飛鳥田執行部は、前年1979年総選挙で進出した中道勢力に接近し、共産党を除外する政権構想を採択し、社公民路線に踏み切った。それに伴って、政策的にも安保・防衛問題で自衛隊の「違憲合法論」を唱えるなど手直しを試みるとともに、1955年「綱領」、1964年「道」にかわる綱領的文書として、1986年1月には「愛と知と力による創造」と題する「新宣言」を採択した。人事面では、1983年9月以来の石橋政嗣(まさし)委員長が1986年7月の衆参同時選挙での惨敗(衆院議席86)ののち辞任、党内公選で土井たか子を委員長に選んだ(同年9月)。政治路線の「現実化」と新人事が党再建につながるか注目され、1989年(平成1)7月参院選挙、1990年2月総選挙で議席を大幅増、低落傾向に歯止めをかけた。[田口富久治]

第五期

1993年総選挙から「社会民主党」への党名変更まで。1993年7月総選挙の結果、自民党が過半数割れをおこし、8月には8党派の連立による細川護熙(もりひろ)政権が成立するが、社会党はこの連合政権に加わった。しかし、翌1994年4月の羽田孜(つとむ)内閣の発足に際しては、新生党などによる統一会派「改新」の結成に反発して、社会党は与党から離脱し、同年6月30日には、村山富市(とみいち)社会党委員長を首班とする自民・社会・新党さきがけの連立による村山内閣が成立した(1996年1月まで)。そして、1996年1月19日に開催された日本社会党第64回大会で社会党は党名を社会民主党に変更し、半世紀に及ぶ歴史をひとまず閉じたのである。[田口富久治]
『『資料日本社会党50年』(1995・日本社会党中央本部機関紙広報委員会)』

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世界大百科事典内の日本社会党の言及

【55年体制】より

…1955年(昭和30)秋に,左右両派社会党の統一によって再発足した日本社会党と,日本民主党と自由党の保守合同によって結成された自由民主党の2党を軸として成立した政党制をいう。
[背景]
 1951年にサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の締結への賛否をめぐって左右両派の対立が激化,分裂してから4年ぶりに統一した社会党と,戦後の保守勢力の離合集散に終止符を打って誕生した自民党によって,政治勢力が2極的に配置される形となり,この体制は,二大政党制の幕開けとして広く歓迎された。…

【堺利彦】より

…平民社創立の1周年には幸徳との共訳による《共産党宣言》を掲載する。同紙廃刊後も《直言》や《光》によって運動を継続し,06年2月日本社会党を結成し評議員となる。同党が議会政策派と直接行動派の対立を招いた際には中間的な立場から両者の仲介に努めるなど,運動の組織者としての優れた資質をもつ。…

【東京市電値上反対事件】より

…1906年3月1日,東京市内の東京市街鉄道,東京電車鉄道,東京電気鉄道の3会社が各3銭均一の電車賃を3社共通5銭均一に値上げする申請を府知事と警視総監に提出した。結党直後の日本社会党は党勢拡張もかねて国家社会党とともに反対運動に取り組み,演説会・市民大会の開催,ちらし配布等を行った。田川大吉郎らの自由主義者や一般市民も加わり運動は盛り上がった。…

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