日本歴史地名大系 「東仲宗根村」の解説 東仲宗根村あがなかずうにむら 沖縄県:宮古諸島平良市東仲宗根村[現在地名]平良市東仲宗根(ひがしなかそね)現平良市の中部に位置し、北から東にかけて西仲宗根(いなかずうに)村、南は西里(にすだてい)村に接する。南東は東仲宗根添(あがなかずうにすうい)村。平良(ぴいさら)間切に属し、平良五ヵ村の一つ。方音ではアカナカズゥニ。漲水(ぴやるみず)御嶽の創世神話によれば、宮古島草創の神は古意角・姑依玉の男女神で、この二神から生れた男神宗達神は東仲宗根を、女神嘉玉神は西仲宗根を領したという(宮古島記事仕次)。地内の盛加(むか)御嶽には古意角・姑依玉の供で天降りした盛加神が祀られている。外間(ぷかま)御嶽は禰間大按司・根間津ノカワラ・目黒盛豊見親・真角与那盤・普佐盛五代の墓所と伝え、一七世紀後期までは一三年に一度鼓ねり祭(コネリ祭)が行われていた。普作盛(普佐盛)の弟イカリが美女によって竜宮界に三日間招かれ、鼓ねり祭を伝授され、この世に戻ってきたら三年が過ぎていたという由来説話がある。祭は中心の台に鷲の尾羽の冠に紺色の朝衣を着たイカリが乗り、これを二四人が囲み、鼓を打ちながらイカリの詞を請けて復唱するというもの(雍正旧記)。一四世紀頃、西銘(にすみ)地域(白川湾南部)に勢力を誇った飛鳥爺を倒した無双の弓取オキメゾリ殿は、東仲宗根の白川大殿の子であると伝える(宮古島記事仕次)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by