平良市(読み)ヒララシ

デジタル大辞泉 「平良市」の意味・読み・例文・類語

ひらら‐し【平良市】

平良

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「平良市」の解説

平良市
ひららし

面積:六四・九二平方キロ

宮古島の北部に位置する。北部に突き出る半島があり、北に池間いきやま島、北東に大神うがむ島が浮び、池間島の北方には八重干瀬が広がる。東より城辺ぐすくべ町・上野うえの村・下地しもじ町と接し、西方沖合には伊良部いらぶ(伊良部島・下地島)がある。国道三九〇号、主要地方道の平良―城辺線、平良―西里にしざと線、県道の平良―新里あらざと線、平良―久松ひさまつ線、鏡原かがみはら増原ますぱり線、池間―大浦おおうら線などが通る。西部の平良港では那覇・伊良部島・多良間たらま島や石垣と結ぶ航路が開かれている。

〔先史時代から古琉球へ〕

市域で最古と考えられる遺跡は白川すさか浜北端の石原いさら北東遺物散布地で、貝塚遺跡であることや立地から無土器遺跡とされ、二千年ほど前にさかのぼると考えられる。漲水ぴやるみず御嶽には創世神話が伝えられている。昔、男神の古意角が下界に島を造って守護神になりたいと天帝に申出たところ、天の岩戸の先を折って与えられ、大海にそれを投げると宮古島ができた。やがて女神の姑依玉が天から遣わされ、男神宗達神と女神嘉玉神が生れた。同じ頃、土中より男神木荘神と女神草荘神が生れ、宗達神は草荘神と、嘉玉神は木荘神と結ばれた。宗達神は東仲宗根あがなかずうにを領して男子世直しの真主を生み、嘉玉神は西仲宗根いなかずうにを領して女子素意麻娘司を生んだ。世直しの真主と素意麻娘司は夫婦となり、子孫は繁栄したという(宮古島記事仕次)。同御嶽には三輪山伝説の一種人蛇婚伝説があるが(御嶽由来記)狩俣かまた村でも人蛇婚で子孫が広がっていったという伝説があり(「狩俣祖神のにーり」宮古島庶民史)、ともに注目される。市域で確認される遺跡は、石原北東遺物散布地を除けば大部分は一四世紀頃の遺跡であるが、最古の住屋すみや遺跡では石鍋・カムィヤキ・珠光青磁などが出土しており、一二世紀にさかのぼると考えられている。尻間ししま遺跡・保里ふさてい遺跡・上ヌ頂ういぬつづ遺跡は一四世紀頃の遺跡とされ、うち住屋遺跡や尻間遺跡は宮古島記事仕次に記されている「根間の大按司」や「目黒盛豊見親」にまつわる遺跡と考えられ、保里遺跡や上ヌ頂遺跡は「保里天太」や「糸数按司」にかかわる遺跡とみられる。すなわち平良西部に保里天太や糸数按司、北東部の白川湾一帯に飛鳥爺と思千代按司、北部の狩俣に小真良波按司がいたと想定される。南西部の野崎ぬざきには久知名按司がいたといわれ、その南に美野島みぬすま遺跡がある。これらの按司は覇権を争い、抗争を繰返していた。拠点は不明だが、「与那覇はら」を統率する佐多大人は一千人の軍勢を擁し、宮古各地を攻略していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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