宮古島と石垣島のほぼ中間に位置する低島。面積一九・七三平方キロ。多良間村に属する。「李朝実録」成宗一〇年(一四七九)五月辛未条に「脱羅麻島」とある。「中山伝信録」では南七島として
島内に先島先史時代前期の
古琉球では与那覇勢頭豊見親の中山入貢伝承にみられるように、多良間も首里王府に定期的に朝貢する関係が生じていたであろうことは、雍正旧記に「多良間島主嶺間按司」の伝承として「宮古島豊見親へ相随ひ毎年罷登、通融致シ候」と記されることからうかがえる。「李朝実録」成宗一〇年六月乙未条に「他羅馬是麼」とみえ、成宗八年二月に済州島を出た金非衣らの船が漂流、与那国で救助されるが、その帰島の途次に見聞した当島について「平衍無山、周回可一日程、人居五十余戸、其言語飲食居室土風、大概与閏伊島同、一有黍粟麦無稲一無材木」などと記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
沖縄県宮古列島(みやこれっとう)に属し、宮古島と石垣島のほぼ中央に位置する島。面積19.76平方キロメートルで最高標高34メートル。多良間村の主島で、全島が琉球(りゅうきゅう)石灰岩からなる低島。サトウキビを中心とした農業が盛んで、近年は野菜づくりが脚光を浴びてきた。また古くから民俗行事がよく残されていることで知られている。北約10キロメートルにある水納島(みんなじま)(面積2.15平方キロメートル、2009年の住民登録人口4)とは、前泊港よりチャーター船で約15分。宮古空港より空路があり、また宮古島平良(ひらら)港からの航路がある。水納島と周辺海域とともに多良間県立自然公園に指定される。人口1335(2009)。
[目崎茂和]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…1771年4月24日(明和8年3月10日)午前8時ころ,〈石垣島付近東南東数十粁の処を東北東西南西に走る線〉を震源地とし,マグニチュード7.4の地震が発生した。その結果,まもなく未曾有の大津波が八重山・宮古両列島(現,沖縄県)の島々村々を襲った。津波の被害が甚大で,〈明和の大津波〉とも呼ばれる。当時の記録《大波之時各村之形行(なりゆき)書》には,地震直後石垣島の東海に雷鳴のような轟音(ごうおん),そして退潮現象,東北・東南海上に黒雲のように波が翻り立った,という異常現象のあったことを伝えている。…
※「多良間島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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