多良間島(読み)タラマジマ

デジタル大辞泉 「多良間島」の意味・読み・例文・類語

たらま‐じま【多良間島】

沖縄県先島さきしま諸島宮古島石垣島の中間にある島。面積約20平方キロメートル、最高点が34.4メートル。大半が10~15メートルの平坦な島。全島が琉球りゅうきゅう石灰岩からなる。サトウキビを中心とした農業が盛ん。豊年祭は国の重要無形民俗文化財に指定。

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日本歴史地名大系 「多良間島」の解説

多良間島
たらまじま

宮古島と石垣島のほぼ中間に位置する低島。面積一九・七三平方キロ。多良間村に属する。「李朝実録」成宗一〇年(一四七九)五月辛未条に「脱羅麻島」とある。「中山伝信録」では南七島として太平山たいへいざん(宮古島)伊良保いらう(伊良部島)などとともに「達喇奇麻」とみえ、「中山世譜」では宮古島三十六島のうちに達喇麻(俗叫多良間)とある。「寰瀛水路誌」では多羅満島と記される。約七・五キロ北に水納みんな島がある。東西六キロ・南北四キロの楕円形で、最高標高は北海岸近くの三四・四メートル。地質は第四紀更新世の琉球石灰岩であり、河川はない。島の東部にほぼ南北方向に断層が走り、この断層は現世サンゴ礁も切っている。北側に標高二〇メートル以上の地もあるが、全体的には標高一〇―二〇メートルの低平な地形となっている。島の周囲にはサンゴ礁が分布するが、西海岸はやや発達がよくない。

〔先島先史時代より古琉球へ〕

島内に先島先史時代前期の添道すういどー遺跡と、グスク時代以降の塩川井しゆがーがー遺跡・嶺間んにま遺跡・天井あまがー遺跡・土原んたばる遺跡・波利真ぱりま遺跡・フシャトゥガー遺跡・ナーラディやま遺跡・白嶺すすんみ遺跡・大道うふみち遺跡・ぴとぅまたうがん遺跡・運城御嶽うんぐすくうたき遺跡・長瀬原ながせばる遺跡がある。添道遺跡では八重山の下田原式土器や、石斧・叩石・スイジガイ製利器・トミガイ製垂飾品・貝錘などが出土。当島から石垣島を遠望できるので、八重山との日常的な往来をうかがわせる。グスク時代には降り井(ウリガー、湧泉)を中心にした集落、あるいはのち御嶽となった集落の遺跡が多くなる。一三―一四世紀には塩川井・天井・嶺間・土原などの集落が登場、外耳土器・陶磁器・類須恵器(カムィヤキ窯系)・石器・貝製品などが出土した。さらに運城御嶽・ぴとぅまたうがん・波利真ガー・フシャトゥガーなどの遺跡が形成され、近世へと継続する。グスク時代は八重山より宮古との往来が密になってくる。

古琉球では与那覇勢頭豊見親の中山入貢伝承にみられるように、多良間も首里王府に定期的に朝貢する関係が生じていたであろうことは、雍正旧記に「多良間島主嶺間按司」の伝承として「宮古島豊見親へ相随ひ毎年罷登、通融致シ候」と記されることからうかがえる。「李朝実録」成宗一〇年六月乙未条に「他羅馬是麼」とみえ、成宗八年二月に済州島を出た金非衣らの船が漂流、与那国で救助されるが、その帰島の途次に見聞した当島について「平衍無山、周回可一日程、人居五十余戸、其言語飲食居室土風、大概与閏伊島同、一有黍粟麦無稲一無材木」などと記している。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「多良間島」の意味・わかりやすい解説

多良間島
たらまじま

沖縄県宮古列島(みやこれっとう)に属し、宮古島と石垣島のほぼ中央に位置する島。面積19.76平方キロメートルで最高標高34メートル。多良間村の主島で、全島が琉球(りゅうきゅう)石灰岩からなる低島。サトウキビを中心とした農業が盛んで、近年は野菜づくりが脚光を浴びてきた。また古くから民俗行事がよく残されていることで知られている。北約10キロメートルにある水納島(みんなじま)(面積2.15平方キロメートル、2009年の住民登録人口4)とは、前泊港よりチャーター船で約15分。宮古空港より空路があり、また宮古島平良(ひらら)港からの航路がある。水納島と周辺海域とともに多良間県立自然公園に指定される。人口1335(2009)。

[目崎茂和]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「多良間島」の意味・わかりやすい解説

多良間島
たらまじま

沖縄県西部,宮古島の西方約 65km,石垣島との中間にある島。水納島(みんなじま)とともに多良間村を構成する。全島が新第三紀の石灰岩で覆われ,最高点 34mの長円形の低平な島で,フクギアダン(→タコノキ)などの樹木が茂る。耕地の大部分がサトウキビ畑で,水は雨水と井戸水に頼る。製糖工場がある。琉球王朝時代,重罪の政治犯の流刑地であったため,首里の風習を残している。民芸民俗の宝庫で,優雅な踊りが伝承されている。島のほぼ全域とその周辺海域が多良間県立自然公園に指定されている。宮古島との間に航空便とフェリーが就航している。面積 19.73km2。人口 1331(2000)。

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改訂新版 世界大百科事典 「多良間島」の意味・わかりやすい解説

多良間島 (たらまじま)

沖縄県宮古郡に属し,沖縄島(本島)の南西約360kmの海上にある島。面積19.9km2。宮古島と石垣島の中間に位置し,最高点34.4mの全面が琉球石灰岩に覆われた低平な島。島の北約9kmにある人口10(1989)の水納(みんな)島とともに多良間村(21.91km2,2010年の人口1231)をなし,島の北部に仲筋(なかすじ),塩川の2集落がある。農業を主とし,サトウキビ作を中心にタバコカボチャなどが栽培される。八月踊ともよばれる,旧暦8月に行われる豊作祈願民俗芸能である豊年祭は,国の重要民俗文化財。宮古島から定期航空路があり,約20分で通じる。
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世界大百科事典(旧版)内の多良間島の言及

【八重山地震津波】より

…1771年4月24日(明和8年3月10日)午前8時ころ,〈石垣島付近東南東数十粁の処を東北東西南西に走る線〉を震源地とし,マグニチュード7.4の地震が発生した。その結果,まもなく未曾有の大津波が八重山・宮古両列島(現,沖縄県)の島々村々を襲った。津波の被害が甚大で,〈明和の大津波〉とも呼ばれる。当時の記録《大波之時各村之形行(なりゆき)書》には,地震直後石垣島の東海に雷鳴のような轟音(ごうおん),そして退潮現象,東北・東南海上に黒雲のように波が翻り立った,という異常現象のあったことを伝えている。…

※「多良間島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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