東仲町
ひがしなかまち
江戸期の町人町。東の魚町から西に延びる往来(倉吉往来・津山往来)の両側町で、南は武家屋敷地(のちの仲ノ町)、西は西仲町、北は玉川を挟んで下新町。東中町とも記す。元禄(一六八八―一七〇四)頃と推定される倉吉古地図(倉吉町誌)に「東仲町八十五間」とみえる。寛延(一七四八―五一)頃の倉吉絵図(県立博物館蔵)に東中町とみえ、竈数五九、間数一二〇間余。天保五年(一八三四)の久原・山口両番所出入荷物改帳控(小谷家文書)によると、同年の当町の出荷は綿屋清右衛門の木綿二〇〇個(八〇反を一個とする)、綿屋平右衛門の木綿二五二個、入荷は塩屋庄兵衛の小間物一七個。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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