日本歴史地名大系 「東八幡町」の解説 東八幡町ひがしはちまんちよう 京都市:中京区柳池学区東八幡町中京区御池通柳馬場東入ル東西に通る現御池(おいけ)通に南面する片側町。町の西側は柳馬場(やなぎのばんば)通(旧万里小路)に面する。平安京の条坊では、町の北半分が左京三条四坊四保一〇町南、南半分が同坊三保一一町北にあたる。平安中期以降は三条坊門万里小路東の地。町の北側は藤原定方の宅で中西殿の地であった(拾芥抄)。町の南側は室町時代は足利直義(「太平記」巻二七)、義詮(師守記)、義持(薩戒記)などの館の地にあたる。町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「八幡東横丁」とあり、元禄末期洛中絵図は「東八幡横丁」とする。木版図系絵図でも承応二年(一六五三)新改洛陽並洛外之図に「ひかし八まん丁」とあり、以降変化はない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by