東双代村(読み)ひがしそうたいむら

日本歴史地名大系 「東双代村」の解説

東双代村
ひがしそうたいむら

[現在地名]富山市双代町

北陸街道(巡見使道)の富山城下と新庄新(しんじようしん)町とのほぼ中間にあり、街道南側に沿っている。集落西側を加賀・富山両藩の藩境をなす赤江(あかえ)川が流れ、対岸は富山藩領西双代村、東方に荒川(あらかわ)村・新庄新町の町並が続く。本来は単に双代村と称し、東双代村は富山藩領の同名村と区別するための通称。江戸初期はすべて加賀藩領であったが、万治三年(一六六〇)の領地替の折に赤江川西岸が富山藩領となる。明暦二年(一六五六)の村御印留では草高八三石、免四ツ四歩。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む