日本歴史地名大系 「東坊城村」の解説 東坊城村ひがしぼうじようむら 奈良県:橿原市真菅・金橋地区東坊城村[現在地名]橿原市東坊城町忌部(いんべ)山(一〇八・五メートル)西北、曾我川両岸に立地。西は西坊城村(現大和高田市)。三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)には「東坊城郷 高市郡寺門反畝六丁六反大」とある。慶長郷帳には「坊城村」とみえ、村高八九二・〇三石。うち六九二・〇三石は旗本藤堂嘉房領。二〇〇石は今(金)春八郎領とある。文禄五年(一五九六)、豊臣秀吉が興福寺に属した金春大夫に扶持を宛行った文書(今春文書)がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by