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東坊城秀長 ひがしぼうじょう ひでなが

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

東坊城秀長 ひがしぼうじょう-ひでなが

1338-1411 南北朝-室町時代の公卿(くぎょう)。
暦応(りゃくおう)元=延元3年生まれ。東坊城長綱の長男。参議,式部大輔(しきぶのたいふ)となる。正二位。侍読をつとめるなど博識をもって知られ,日記「迎陽(こうよう)記」をのこした。応永18年8月6日死去。74歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

朝日日本歴史人物事典の解説

東坊城秀長

没年:応永18.8.6(1411.8.25)
生年:暦応1/延元3(1338)
南北朝・室町初期の公卿。父は参議長綱。貞和5/正平4(1349)年叙爵延文4/正平14年少納言。東坊城家は儒道を家業としており,秀長も康暦2/天授6(1380)年に後円融天皇の侍読となる。明徳1/元中7(1390)年参議に任ぜられる。後小松天皇の侍読となり,明徳3/元中9年12月の御読書始以後,応永16(1409)年2月,72歳までこれを務める。応永9年正二位に昇る。秀長は和歌も優れ,宮廷の歌会にもしばしば列席し,勅撰集の『新後拾遺集』,『新続古今集』に入集。日記『迎陽記』は当時の宮廷歌壇研究の好資料といわれる。

(相馬万里子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典内の東坊城秀長の言及

【漢詩文】より

…これは平安朝以来の伝統を守って,博士家や外記・内記の職に在った人が,公文書の作成のために漢文学を学んでいたものである。そのもっとも顕れた人には東坊城(菅原)秀長があり,その文集を《迎陽(こうよう)文集》(《迎陽記》)という。また《本朝文粋》にならって《本朝文集》も編せられ,公家の作品が集められた。…

※「東坊城秀長」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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