朝日日本歴史人物事典 「東坊城秀長」の解説
東坊城秀長
生年:暦応1/延元3(1338)
南北朝・室町初期の公卿。父は参議長綱。貞和5/正平4(1349)年叙爵。延文4/正平14年少納言。東坊城家は儒道を家業としており,秀長も康暦2/天授6(1380)年に後円融天皇の侍読となる。明徳1/元中7(1390)年参議に任ぜられる。後小松天皇の侍読となり,明徳3/元中9年12月の御読書始以後,応永16(1409)年2月,72歳までこれを務める。応永9年正二位に昇る。秀長は和歌も優れ,宮廷の歌会にもしばしば列席し,勅撰集の『新後拾遺集』,『新続古今集』に入集。日記『迎陽記』は当時の宮廷歌壇研究の好資料といわれる。
(相馬万里子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報