改訂新版 世界大百科事典 「東大寺山堺四至図」の意味・わかりやすい解説
東大寺山堺四至図 (とうだいじさんかいししず)
東大寺領界をほぼ1町方格の朱線(東西21本,南北16本)を引いて絵図で示したもの。隅に〈東大寺図 天平勝宝八歳(756)六月九日定堺為寺領地……〉の墨書がある。麻布(天平勝宝6年10月の端書あり)を3段に縫い合わせてあり,縦222cm,横229cm。正倉院所蔵。
寺領は北は佐保川,南は能登川,東は両川の上流,西は東京極大路であり,一堺染谷から十堺寺道に至る10ヵ所の地点名が記されている。また図には西面大垣に三門と東西塔,大仏殿,戒壇院,羂索堂,千手堂が描かれ,ほかに神地,新薬師寺堂,香山堂(新薬師寺の前身),御蓋山,南北度山峯,飯守峯等の名が記される。香山堂推定地には今も礎石,井戸跡がのこる。図中の朱線は南北方向と東西方向では縮尺を異にし,図中の建物配置を実測図と照合すると長さの比は3対4となり山岳部ではさらに縮尺を変える。図に含まれる実際の距離は南北3km,東西3.3kmであり,縮小率をかえながらも河川,道路,山岳など現地形とよく合致する。伽藍図,地形図,あるいは絵画資料として貴重である。
執筆者:牛川 喜幸
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報