日本歴史地名大系 「東富松村」の解説 東富松村ひがしとまつむら 兵庫県:尼崎市旧川辺郡地区東富松村[現在地名]尼崎市富松町一―四丁目・塚口町(つかぐちちよう)三―六丁目・南塚口町(みなみつかぐちちよう)八丁目・上(かみ)ノ島町(しまちよう)一丁目・南武庫之荘(みなみむこのそう)二丁目・武庫之荘本町(むこのそうほんまち)三丁目・武庫之荘東(むこのそうひがし)二丁目塚口村の西に位置し、西側は北から武庫郡時友(ときとも)村・武庫庄(むこのしよう)村・西富松村・生津(なまづ)村。中世富松郷・富松庄の遺称地。文禄三年(一五九四)九月四日の友行村検地帳(部分、友行部落有文書)の名請人の肩書にみえる「とまつ」は当地にあたる。慶長国絵図に畠松村と記され、高一千三七二石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳に村名がみえ幕府領(片桐貞隆預地)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報