富松庄(読み)とまつのしよう

日本歴史地名大系 「富松庄」の解説

富松庄
とまつのしよう

江戸時代の東富松村・西富松村付近を庄域としたとみられる公家領庄園。室町期以降は奈良春日社兼興福寺領富松郷(東富松郷ともいう)との関係からか、西富松庄とよばれることもあった。保元二年(一一五七)三月二五日の太政官符(「兵範記」同年三月二九日条)に「富松庄」とみえ、平安末期には藤原頼長の所領であったが、頼長は保元の乱に敗れ、後白河天皇の後院領となった。治承元年(一一七七)八月一八日の日付がある愛知県小坂井こざかい菟足うたり神社所蔵の大般若経巻の識語のうちに「摂州河辺南条富松庄」とみえる。

建武二年(一三三五)西園寺公重に安堵され(同年七月一二日「後醍醐天皇綸旨」西園寺家文書)、南北朝期以前に同家領となっていた。その後、庄内の三分の一は三条西家の所領となり、永正三年(一五〇六)に「西富松庄」の三分の一を占める三条前内大臣(三条西実隆)家領を除く本所分と、佃と号された御厩田一町が富田中務丞に売却され(同年五月二一日「室町幕府奉行人連署奉書」内閣文庫蔵頭人加判引付)、同六年このうちの一部と考えられる西富松内字佃の下地二段などが、常灯明料所として富田越前守重春から尼崎大覚だいかく寺に寄進されている(同年一〇月一二日「常灯明料田畠請取状案」唐招提寺蔵大覚寺文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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